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2025.02.05

スポニチアネックス

【追憶のきさらぎ賞】95年スキーキャプテン 米3冠への思いよ届け!“元返し”の人気に見事応えた

 昨年のケンタッキーダービー。日本から勇躍、参戦したフォーエバーヤングが勝ち馬から鼻+鼻差の3着に奮闘したのを見て、胸を打たれた人は多いだろう。

95年、第35回きさらぎ賞で圧勝したスキーキャプテンと武豊騎手

 日本調教馬初のケンタッキーダービー参戦となった95年スキーキャプテンのレース(14着)を見たオールドファンにとっては、なおさら感慨深かったのではないか。

 「スキーキャプテンですら、全く歯が立たないのか。こんなレースを勝つのに、あと何年かかるんだ…」。筆者は当時、率直にそう思った。だが、そこから約30年で“あとひと押しで勝てる”という域まで歩を進めた。これは驚嘆に値する。日本の競馬関係者全員の奮闘の成果だろう。

 そのケンタッキーダービーの前、スキーキャプテンが国内で制した重賞が95年きさらぎ賞だ。

 何と単勝1.0倍。これには、さまざまな思いが絡んでいた。

 まずは朝日杯3歳S(当時)での奮闘だ。直線、外から力強く追い上げたが、内を抜けたフジキセキに首差届かず2着。通ったコースの差を思えば、フジキセキと互角の力を備えていることを証明した。

 ちなみにフジキセキは続く弥生賞も完勝したが、左前脚に屈腱炎を発症、引退を余儀なくされた。その完全無欠の成績からフジキセキを“幻の3冠馬”と呼ぶ人もいる。

 そんなフジキセキと火の出るような名勝負を演じたスキーキャプテン。だが、同馬は当時、クラシックに出走権のない外国産馬だった。陣営は朝日杯の後、驚きのプランを明かした。「米3冠レースに挑戦します」

 強さを証明したが、ルール上、皐月賞にもダービーにも出られない。ならば、米3冠を好勝負するくらいになってほしい。判官びいきにも似たファンの思いが、スキーキャプテンを“元返し”の人気へと押し上げた。

 そして、スキーキャプテンは、その圧倒的な人気に応えた。

 序盤はやや首を上げ、折り合いを欠き気味だったが、9頭立ての8番手付近へと下げて、改めて流れに乗った。

 3角過ぎの下りで位置を上げ、4角で6番手の外へ。そして大外から豪快に伸びた。今回、改めてVTRを見直して気付いたが、スキーキャプテンは手前(軸脚)を替えていない。それでも残り200メートルで悠々と先頭に立ち、そこからようやく手前を替え、2馬身差をつけて押し切った。

 派手な勝ちっぷりだったが、武豊騎手のコメントはトーンが上がらなかった。「まだ気性面で気を使う。いつも大外を回って勝つとは限らないから…」。名馬の背中を知る名手ならではのコメント。手放しで喜ばないあたりに、逆に、この馬への期待が見て取れた。

 その後、スキーキャプテンは壮行戦として予定していた毎日杯を蹄の不安で見送り。ケンタッキーダービーへの直行を余儀なくされた。

 その大一番。スキーキャプテンは追走するのが精いっぱいというレースぶり。勝ち馬サンダーガルチから、はるかに離れた14着でのフィニッシュとなった。順調さを欠いての参戦とはいえ、ここまで何もできずに終わるとは。武豊騎手もショックを隠せなかった。

 だが、最初の一歩がなければ何も生まれない。スキーキャプテンのチャレンジがあり、そこから関係者はノウハウを積み上げ、フォーエバーヤングの奮闘へとつなげたのだ。

 スキーキャプテンはケンタッキーダービーでよほどダメージを負ったのか、そこから長期休養を強いられる。翌年のアメリカジョッキークラブCで復帰したが全く見せ場をつくれず8着。引退へと追い込まれた。

 ケンタッキーダービーの勝ち馬は、表彰式でバラのレイをかけることができる。無念を残して舞台から去ったスキーキャプテンのためにも、後輩がいつかバラのレイを胸を張ってかける日を待ちたい。