2025.02.05

スポニチアネックス

河内洋師 “アグネス一族”と縁…騎手時代00年フライトでダービー制覇

 ◇さらば伯楽(2)

3月4日に定年引退を迎える河内洋調教師

 今年は東西トレセンで7人の調教師が70歳定年制により、3月4日をもって引退する。ホースマン人生を振り返る連載「さらば伯楽」第2回は栗東の河内洋師(69)だ。騎手時代は名手とうたわれ、引退後もキャリアを重ねて半世紀以上、馬とともに歩んできた。多くのファンに愛されたトレーナーの最終章。今週は東京新聞杯ウォーターリヒト、きさらぎ賞ウォーターガーベラのきょうだいで東西重賞獲りにチャレンジする。

 騎手、調教師として輝きを放ったホースマン人生の集大成を迎える。河内師は定年引退を前に「決まっていることだから仕方がない」といつも通り気負うことなく、泰然自若の構えだ。

 同じく調教師をしていた父・信治氏は公営・長居競馬場(大阪市東住吉区)の閉鎖に伴い、春木競馬場(大阪府岸和田市)で開業した。幼少の頃から馬に囲まれ、厩舎作業の手伝いをするなど馬と隣り合わせの生活。自然と騎手の道へ。74年、19歳で騎手免許を取得し、デビューした。初年度から頭角を現し、7年目の80年に年間72勝で自身初の全国リーディングを獲得。84&85年マイルCS連覇を飾ったニホンピロウイナー、86年に初の3冠牝馬に輝いたメジロラモーヌ、笠松から中央に移籍したオグリキャップとのコンビで88年に重賞5勝、同年マイルCS覇者サッカーボーイなど数多くの名馬の手綱を取った。

 そんな名手と切っても切り離せないのが「アグネス一族」だ。79年にアグネスレディーでオークスV。これが自身初のG1制覇で、そこから血のドラマがつながっていく。アグネスレディーの子アグネスフローラで90年桜花賞V、アグネスフローラの子アグネスフライトとのコンビで臨んだ00年ダービーは自身17度目のチャレンジで悲願の初制覇となった。「周りに若い騎手が出てきた時期にベテランの自分が勝たせてもらって本当にうれしかった」としみじみ。「元々、一瞬の脚があったけど、あのレースだけ、いつも以上に凄い伸びを見せてくれた」と弟弟子・武豊が騎乗するエアシャカールと繰り広げた鼻差の激闘を振り返った。

 アグネスフライトの1歳下の全弟アグネスタキオンも思い入れが強い存在だ。新馬、ラジオたんぱ杯3歳S、弥生賞、皐月賞と無敗4連勝。ダービーを前に左前屈腱炎が判明し、夏に引退が発表された。「調教でそんなに動く感じではなかったけど実戦に行くと反応が良く、凄くいい馬だった」。今もはっきりと背中の感触が残っている。

 史上2位(当時)のJRA通算2111勝をマークし、03年にムチを置いた。アグネスフライト、アグネスタキオンを管理した長浜博之師の下で技術調教師として準備を進め、05年に厩舎を開業。アグネスタキオン産駒アグネスアークはG1に手が届きかけた。「身のこなしが柔らかく、能力が高かった。無事だったらG1を獲れていたかな」。07年札幌記念2着、毎日王冠2着をステップに天皇賞・秋2着。続くマイルCSが4着でレース中に左第2中手骨を骨折していたと翌週になって判明した。たらればになるが、あのアクシデントがなければ突き抜けていたのでは…。そう思えるレースぶりだった。

 どんな時も馬優先主義を貫いた。「状態をしっかり見極める。調子が良くないと感じれば無理をさせないようにした」。トレーナーとしてラスト1カ月。今週は東京新聞杯にウォーターリヒト、きさらぎ賞にウォーターガーベラと東西重賞に管理馬を送り出す。ともに前走が重賞で馬券絡みと好内容。「2頭とも状態はいい。どんな競馬をしてくれるか楽しみ」と力を込めた。引退後は「ゆっくりお酒を飲みたい」と笑うが週末の話題になると、すぐに勝負師の表情に切り替わった。

 ◇河内 洋(かわち・ひろし)1955年(昭30)2月22日生まれ、大阪府岸和田市出身の69歳。74年、武田作十郎厩舎所属で騎手デビュー。80、85、86年は全国リーディングに輝く。関西騎手界の第一人者として、03年2月の引退までJRA通算1万4940戦2111勝、うち重賞134勝(G1級は22勝)を挙げた。03年に調教師免許を取得し、05年3月開業。JRA通算4800戦381勝、うち重賞6勝。23年JBCレディスクラシック(アイコンテーラー)でJpn1初制覇。

 《ラストイヤー重賞Vは過去10年で6人達成》引退調教師のラストイヤー重賞制覇は過去10年で6人が達成。先月26日のプロキオンSは音無師がサンデーファンデー、サンライズジパングでワンツーを決めた。昨年は安田隆師がミッキーゴージャスで愛知杯、中野師がブローザホーンで日経新春杯V。他に松田博師が16年日経新春杯(レーヴミストラル)、小倉大賞典(アルバートドック)、福島信師が18年阪急杯(ダイアナヘイロー)、西浦師が21年小倉大賞典(テリトーリアル)を制した。