2025.01.22
スポニチアネックス
【追憶のAJC杯】89年ランニングフリー 平成最初のG2制した“無事之名馬”オーナーは新天皇のご学友
令和の時代に冒頭から言うのも何だが、この一戦が「平成で最初に行われたG2」である。同日に日経新春杯も行われたが、正真正銘、中山で行われたこの一戦の方が10分早かった。
「平成最初」で、ああー、といろいろ思い出すオールドファンは多いだろう。1月7日に昭和天皇が崩御。JRAは7、8日の開催延期を決め、13、14、15、16日の4日連続開催、さらに20、21、22日の3日連続開催を行った。実に11日間で7日、競馬を行ったのである。当時の関係者、ファンの両方に、ご苦労様でしたとねぎらいの言葉をかけたいところだ。
その怒とうのような連続開催のラストデー、22日に行われたアメリカジョッキークラブCを制したのがランニングフリーだった。
使い古された言葉を用いて恐縮だが「無事之名馬」を地で行く馬だった。900万下(現2勝クラス)を突破するまでに13戦を要したが、続く福島記念に格上挑戦で挑むと見事1着。
その後、やや頭打ち気味となったが88年、5歳春(現表記)になって再び盛り返す。13番人気の天皇賞・春でタマモクロスの2着。天皇賞・秋5着、有馬記念4着(5位入線もスーパークリーク失格で繰り上がり)と奮闘し、89年AJC杯を迎えた。
結果から言えば完勝だった。逃げるレジェンドテイオー、2番手クリロータリーの背後で手応え十分に4角を回った。あっさり抜け出し、2着ハワイアンコーラルに1馬身の差をつけた。菅原泰夫騎手の自信に満ちた乗りっぷりが目を引いた。
オーナーは作家の藤島泰輔氏。初等科から大学まで学習院で学び、新天皇(現上皇陛下)とは10年間も机を並べたご学友だった。実は、レース前日の21日に「天皇賞」が継続して行われることが決定し、競馬業界全体がホッと安どしたばかり。そして翌日はご学友がG2制覇。何か“平成の競馬ブーム”を予感させる、新元号の元での競馬の滑り出しとなった。