2024.10.23
スポニチアネックス
【天皇賞・秋】松永幹師 マテンロウスカイで描く青写真!「前走から上積み感じる」
水曜企画「G1追Q探Q!」は担当記者が出走馬の陣営に聞きたかった質問をぶつけて本音に迫る。中距離王決定戦「第170回天皇賞・秋」は大阪本社・田村達人(31)が担当。マテンロウスカイを管理する松永幹夫師(57)を徹底取材した。ここ2走は15、8着と苦戦が続くが、2月中山記念ではG1馬2頭を負かして重賞初制覇。ここでも通用の実績は十分ある。
マテンロウスカイを送り込む松永幹師は騎手時代、05年天皇賞・秋を単勝オッズ75・8倍の14番人気ヘヴンリーロマンスで制した。最内枠から道中8番手の内ラチ沿いを確保。直線は好位から早め先頭で押し切りを図るダンスインザムード、外からぐんぐん迫ったゼンノロブロイの間をグイッと割って差し切った。
当時はJRA史上初の天覧競馬。レース後には馬上でヘルメットを取り、天皇、皇后両陛下に深々と頭を下げる姿は今も語り草だ。3連単122万6130円は当レース史上最高配当。師は「もう20年近くも前ですから」と笑みを浮かべながら「騎手でも勝ったので、調教師でも勝ちたい思いはあります」と明かした。
マテンロウスカイは当時のヘヴンリーロマンスと同じ5歳。2月の中山記念で重賞初制覇を飾り、競走馬として完成の域に達している。19年前の大波乱を再び――。騎手&調教師双方での天皇賞・秋制覇を狙う。
3月30日のドバイターフで海外初遠征。日本からドバイまで約12時間半のフライト。長距離輸送による体力の消耗は想像以上に激しかった。師は「出国前はいつもの感じだったけど、現地に到着してからの体調がひと息で…。寒い時季でもあったし輸送がスムーズに行かなかった」と振り返る。
レースは逃げの手を打ったが直線入り口で後退して15着に惨敗。「体がしぼんでいて遠征を後悔したほど。(横山典)ジョッキーもそれを感じて、最後は無理をさせなかった。ドバイに関しては度外視していい」。希望を持って挑んだ海外挑戦は、ほろ苦い結果に終わったが、普段とは違った環境での経験は大きな財産。世界の強豪にもまれ、春よりメンタルが強化された。
帰国後はたっぷり休養を取り、6日の毎日王冠で秋初戦を迎えた。中団で脚をため余力十分に直線に入ったが、前が壁になり不完全燃焼。ノーステッキのまま、勝ち馬から0秒5差の8着でゴールした。「着順は悪かったけど着差は少なかった。直線は左にモタれて外に出せず。それも競馬だから仕方ないけど(スムーズなら)もっと上の着順だった」と悲観していない。
これまでの実績だけを見ると、久々も苦にしないが本質は叩き良化型。3走前の中山記念は休養明け2戦目での勝利だった。「ひと叩きして、いい雰囲気。前走からの上積みを感じている」。結果が振るわなかった近2走は調整面と展開に泣き、全く力を引き出せていない。「内めの枠から、いい位置で運ぶのが理想ですね。相手は強敵だけど、全てかみ合えば…と期待は持っています」。本来のパフォーマンスを発揮できれば激走の可能性は十分ある。
◇松永 幹夫(まつなが・みきお)1967年(昭42)4月10日生まれ、熊本県出身の57歳。86年に栗東・山本正司厩舎所属で騎手デビュー。1年目に40勝を挙げ、新人騎手賞を受賞した。91年オークス(イソノルーブル)でG1初制覇。JRA通算1万2416戦1400勝、うち重賞54勝(G1・6勝)。06年2月28日に騎手を引退し、翌年3月に厩舎を開業。調教師としては09年秋華賞(レッドディザイア)でG1初制覇。管理馬ラッキーライラックは19&20年エリザベス女王杯連覇を含むG14勝。JRA通算4974戦518勝、うち重賞23勝(G1・6勝)。
【取材後記】
マテンロウスカイはデビュー当初から厩舎の評判が高かった。ただ気性難に悩まされ、主戦の横山典による提案で22年9月セントライト記念13着後に去勢を決断。道中の折り合いが劇的に改善され、復帰2戦目でオープン入り。去勢効果や我慢させる競馬を教え込んできたことが実を結んだ。
約1年1カ月ぶりとなる2000メートル戦にも不安はない。前回、この距離を使った昨年9月のケフェウスSは1番人気で9着に敗れたが、完全な差し決着の展開で参考外。2000メートルのデビュー戦は5馬身差で圧勝しており適性は十分ある。
今回、出走するG1馬6頭のプレッシャーはハンパないと思うが、血統的にこの舞台でこそ狙ってみたい。父モーリスは16年、母の父スペシャルウィークは99年の当レース覇者。木曜に発表される枠順次第では重い印を打つことも考えている。(田村 達人)