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2024.09.04

スポニチアネックス

【追憶の京成杯オータムハンデ】97年クロカミ 先頭奪われても冷静に…孫たちにも継がれた我慢のレース

 今ほど牝馬の活躍が顕著でなかった時代。ハンデ戦とはいえクロカミの快勝劇には衝撃が走った。京成杯AH(当時は京王杯)の牝馬の優勝は87年ダイナアクトレス以来。翌日の新聞には「秋のマイル戦線の主役へ」という見出しが躍った。

第42回京王杯で重賞初制覇したクロカミ(左)  

 厳しいレースだった。1番枠から好ダッシュで飛び出したクロカミ。前走で北九州記念を逃げ切ったダンディコマンドがハナを切るとみられていたが、クロカミの方が勢いがいい。岡部幸雄騎手は先手を奪ってクロカミを落ち着かせた。

 向正面、あっさりシナリオが崩れる。後方からドージマムテキが引っ掛かり気味に接近。先頭を奪った。ムキになって追いかけても仕方のないところ。だが、クロカミは冷静に2番手で我慢した。

 「あそこがポイントだった。精神的に大きく成長した」と松山康久師。自分を見失うことなく、クロカミは勝負どころを迎えた。

 道中で息が入らなかった。厳しいペースにダンディコマンドはあっさりと下がっていった。クロカミはドージマムテキを早めにパス。一気に前に出た。4角最後方からハイペースを味方に追い込んだプレストシンボリの強襲を頭差しのいだ。

 厳しい競馬を乗り切り、岡部騎手はご機嫌だった。「レースだけでなく、レース前の調整過程でも自分の理想に近づいているんだよ」と笑顔で話した。

 マイルG1奪取を期待されたクロカミだが、次走は着実に府中牝馬S(当時G3)へ。ここも快勝し、翌年、5歳秋で引退した。

 クロカミは現代競馬にも大きな影響を与えている。娘のクロウキャニオンからボレアス(11年レパードS)、カミノタサハラ(13年弥生賞)、ヨーホーレイク(22年日経新春杯、24年鳴尾記念)が出ている。

 どちらかと言えば、一瞬の切れ味よりジリジリと伸び続けるイメージ。クロウキャニオンの子のそんなレースを見るたびに、我慢の競馬を披露した祖母クロカミを思い出す。