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2024.07.17

スポニチアネックス

【追憶の中京記念】09年サクラオリオン ディープインパクトの“お隣さん”重度の骨折乗り越えた

 追い切りにおける“併せ馬”の組み合わせ。これを決めるのは結構、難しい。

09年の第57回中京記念、ゴール前で差し切って重賞初制覇を飾った15番人気のサクラオリオン

 メインとなる馬(当該週や翌週のG1、重賞に出走する馬)の闘志をかき立てるだけの能力があること。誘導する役目があるなら、理想とするタイムで引っ張るスピードがあること。最後にかわされる予定なら、先着されても心が折れない気持ちの強さがあること…などだ。

 だから、傑出した実力馬のスパーリングパートナーは力が求められる。有名なのはシンボリ牧場におけるシンボリルドルフとシリウスシンボリの併せ馬。併せた相手が次々と自信を失っていくシンボリルドルフは併せるパートナーがいなくなっていた。そこで実現したのが、この組み合わせ。シリウスシンボリはこの併せ馬の後、ダービーを1番人気で快勝する。

 話を戻そう。サクラオリオンはディープインパクトの併せ馬の相手をよく務めていた。02年生まれの同期。馬房も隣同士だった。

 ディープインパクトのダービー2週前追い切り。サクラオリオンはディープインパクトの外に併せるという難しい役目を担った。

 他馬との圧倒的な実力差から併せ馬では常に外を回っていたディープインパクトだが、実戦で外からかぶせられて我を失うことがあってはならない。そのためにも1度、内側で併せておく狙いがあったのだろう。

 しかし、悲劇が起きた。併せ馬を終え、あっという間に息を整えたディープインパクト。一方、サクラオリオンは負荷がかかりすぎたのか、止め際で歩様が乱れた。左前脚のつなぎを損傷し、ボルトを入れる手術を余儀なくされた。

 週が明け、ダービーを1週間後に控えた月曜。ディープインパクトの市川明彦厩務員は神妙な表情で語った。「オリオンが走ったところをディープが走っていた可能性もあった。かわいそうなことをした。ディープがケガをする可能性をオリオンが摘み取ってくれたのかもしれません」

 そこからさらに1週間後、ディープインパクトは無敗の2冠馬となって栗東の池江厩舎に凱旋した。サクラオリオンの厩務員は我がことのように喜んでいた。口数の少ない温厚な方だったが、心の底から笑顔を浮かべていた。胸が痛くなった。

 「サクラオリオンに頑張ってほしい。応援しよう」。それが筆者と市川厩務員の心の合言葉となった。サクラオリオンは戦線復帰に1年を要したが、無事にターフに戻ることができた。

 500万突破に6戦を要したが、1000万、1600万を勝ち上がり、6歳夏にはオープン入り。福島記念7着、中日新聞杯10着、白富士S6着と来て、オープン4戦目が09年中京記念だった。

 15番人気。記者が願ったのは初の重賞での掲示板(5着以内)だった。しかし、サクラオリオンは人間の想像をはるかに超えてきた。

 道中、7番手付近で流れに乗る。4角で前にいるのは1番人気のヤマニンキングリーだ。そのヤマニンキングリーが残り100メートルで先頭に立つ。背後にいたサクラオリオンが…何とかわした。ディープインパクトのスパーリングパートナーが、ついにベルトを巻いた瞬間だった。

 市川厩務員の喜びといったら、それは凄かった。自分の担当馬の優勝より、はるかに喜んでいた。「良かった、本当に良かった」。市川厩務員だけではない。厩舎スタッフ全員が心から喜んでいた。サクラオリオンは同年の函館記念も勝ち、中京記念がフロックでなかったことを印象づけた。

 1頭の馬が天下を獲るまでに、裏ではさまざまなことが起こる。それは仕方のないことだ。しかし、サクラオリオンは悲劇の馬で終わるのではなく、自らの力で立ち上がり、重賞2勝馬へと飛躍してみせた。サクラオリオンもまた、池江泰郎厩舎を代表する名馬だった。