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2025.04.16

スポニチアネックス

【追憶の皐月賞】04年ダイワメジャー パドックで寝てしまった馬が… 西高東低の中、関東を支え続けた

 04年皐月賞は今、振り返ってもワクワクするメンバーだ。

皐月賞を制したダイワメジャーとM・デムーロ

 1番人気はホッカイドウ競馬の雄コスモバルク。地方に所属したままG1を勝つという岡田繁幸氏(故人)の野望を背負った。JRAでは百日草特別、ラジオたんぱ杯2歳S、弥生賞と3連勝。全て2着に1馬身以上の差をつけており、隙はなさそうに見えた。

 2番人気はブラックタイド。スプリングSを快勝して、ここへと乗り込んだ。黒鹿毛の威風堂々たる馬体で無限の可能性を感じさせた。

 3番人気は朝日杯FSの覇者コスモサンビーム、5番人気は本格化前のハーツクライだった。

 そんな中、スプリングS3着で、かろうじて皐月賞切符を手にしたのがダイワメジャーだった。10番人気も仕方ないところだろう。だが、スタンドで見ていた上原博之師には確信めいた思いがあった。「まともに走れば差はない。いい競馬になるはず」

 上原博師が初めてダイワメジャーと対面したのは当歳時。全姉ダイワルージュを管理し、牡馬相手に新潟3歳Sを勝っていた。期待を持って馬を見ると、それはそれは素晴らしかった。「大柄でパワーも強い。これはいける」

 だが、当時のダイワメジャーはパワフルを超越して、元気が余りすぎていた。2歳の春。まずは宮城県・山元トレセンに入ったが、元気が良すぎて北海道に戻された。元気が良すぎて、である。

 03年暮れの中山でデビュー。だが、そのパドックで後々にまで語り継がれる珍事を起こす。何と寝転んでしまったのだ。

 実はパドックの前、装鞍所でも大暴れ。JRAが上原博師に「出走取消にしますか?」と打診したほどだった。そんなハチャメチャでもレースに行ったら首差2着。「これは、まともに走ったら相当凄いぞ」。上原博師はスタッフにそう話した。

 「ダイワメジャーを皐月賞に送り出そう」。翌日から、それが上原博厩舎の合言葉となった。日程的には厳しかったが、ダート戦に出すなどして賞金を積み、スプリングS3着で何とか出走枠の端っこに引っ掛かった。

 レースは圧巻だった。ダイワメジャーの独り舞台だった。

 互角のスタートから楽に2番手へ。直線を向き、残り250メートルで先頭。集団から抜け出したコスモバルクが追い上げたが、ダイワメジャーには届かない。ミルコ・デムーロがスタンドに向かって左腕を突き出し、皐月賞は決着した。

 10番人気馬の快勝にスタンドがどよめく中、上原博師は冷静だった。「さすがだなあ、と思いながら見ていましたよ」

 ダイワメジャーはその後、ノド鳴りを手術で克服するなど困難を乗り越え、古馬になっても活躍。西高東低ムードの中、孤軍奮闘、美浦を支え続けた。