2025.03.21

藤井騎手とフラワーC

今週末、中山競馬場ではフラワーC(GⅢ)が行われる。
 クラシック第1弾・桜花賞(GⅠ)へとつながる3歳牝馬のこのレース。6年前の2020年、新型コロナウイルスの影響で世界が混乱に陥る寸前に行われたこの一戦で、勝ち馬から3/4馬身差の2着に惜敗したのがレッドルレーヴだった。
 「未勝利を勝ったばかりで、よく頑張ってくれました」
 レース後、そう語ったのは管理していた藤沢和雄調教師(引退)。事実、キングカメハメハ産駒のこの牝馬は、19年10月の新馬戦で2着に敗れた後、年明けの未勝利戦を勝利。3戦目でこの重賞に挑んでいた。
 「よく頑張ってくれた」と口にしながらも、どこか悔しそうな表情を浮かべていた藤沢調教師。しかし、レースの直後には、笑顔で1人の男に「おめでとう」と声をかけていた。
 その相手は、このレースを制したアブレイズの鞍上・藤井勘一郎騎手(引退)だった。自らが惜敗しながらも祝福の言葉を贈った藤沢調教師は、こう語った。
 「藤井君は苦労人だからね。中央で重賞を勝てて良かったよね」
 1983年12月生まれの藤井騎手は、小学生の頃から騎手を夢見ていた。しかし、体重の問題でJRA騎手の道を断念し、オーストラリアへ渡って騎手免許を取得。その後、シンガポールや韓国でも騎乗し、帰国時には南関東で乗ることもあった。
 そんな中、改めてJRAの騎手試験を受験することを決意。簡単には合格できなかったが、毎年のように挑戦し続けた。JRAへの憧れもあったが、それ以上に、ある人物の言葉が彼の背中を押していた。
 「君自身が世界中で乗るのは素晴らしいことだと思うけど、奥さんも子供もいるなら、日本で腰を落ち着けて乗ることも考えた方がいいんじゃないか?」
 そう声をかけたのが、藤沢調教師だった。
 日本での拠点が定まらなかった藤井騎手は、一時、藤沢厩舎が外厩代わりにしていたミホ分場で働いていた。その際に、この言葉をかけられたのだ。
 目が覚める思いがした藤井騎手は、不合格が続いても試験を受け続けた。そして19年、6回目の受験でついに難関を突破。念願のJRA所属騎手となったのだ。
 こうして迎えた2020年のフラワーC。苦労を重ねてつかんだJRA初の重賞勝利だった。しかも、2着は藤沢調教師の管理馬・レッドルレーヴ。これは、彼にとって“恩返し”とも言える勝利だったのかもしれない。

 しかし、その藤井騎手を襲ったのは、あまりにも無情な運命だった。皆さんもご存じのように、この栄冠からわずか2年後の2022年、落馬事故で大怪我を負い、結果として騎手を引退。今は車椅子生活を送っている。
 だが、彼は立ち止まらなかった。取材される側から、する側へ。今も国内外を飛び回り、競馬と向き合い続けている。私も海外や栗東トレセンで時々顔を合わせるが、そのたびに思う。
 現役時代と変わらぬ笑顔で、未来を見据え続ける彼の姿勢は、まさに“苦労人”のそれだと。
 人生において、夢を叶えることも、失うこともある。だが、たとえどんな運命が待っていようとも、前を向くことはできる。藤井勘一郎という男の生き方が、それを証明しているのだった。
(文中一部敬称略)
(撮影・文=平松さとし)

※無料コンテンツにつきクラブには拘らない記事となっております。