2025.02.27

レッドディザイアの勝利の陰に1人の職人

先週末のサウジカップデーの熱気がまだ冷めやらぬ中、戦いの舞台はサウジアラビアからドバイへと移る。今週末、ドバイワールドカップデーへの最後の切符を懸けた決戦「スーパーサタデー」が行われるのだ。
 かつてこのレースは「スーパーサーズデー」として開催されていた。メイダン競馬場のダートコースが、まだタペタ社製のオールウェザー馬場だった時代だ。当時、そこで、日本競馬の歴史に名を刻む挑戦をした1頭の名牝がいた。レッドディザイア(牝、栗東・松永幹夫厩舎)である。

 2009年、秋華賞(GⅠ)。彼女は、世代最強と謳われたブエナビスタの3冠を阻み、堂々の勝利を収めた。さらにジャパンC(GⅠ)では、3歳牝馬ながらウオッカ、オウケンブルースリという錚々たるメンバーに次ぐ3着と健闘。日本競馬の新たな希望として、翌10年、彼女は世界最高峰のレースのひとつ、ドバイワールドカップ(GⅠ)制覇を夢見て中東へと旅立った。

 しかし、その道のりは決して容易ではなかった。当時のメイダン競馬場のオールウェザー馬場は、日本の馬場とは大きく異なり、日本調教馬にとって未知の領域。その適性を見極めるため、陣営は前哨戦としてアルマクトゥームチャレンジラウンド3(当時GⅡ、現マクトゥームチャレンジ・GⅠ)への出走を決断する。松永幹夫調教師はレース前、静かにこう語った。
 「もし適性がなくて惨敗するようなら芝に戻します。でも、ここで結果を出せるなら、同じ馬場で行われるドバイワールドCに挑む価値があると思います」

 そして迎えた運命の日、未知の馬場に挑むレッドディザイアの脚元を支えたのは、当時65歳の福田勝之装蹄師だった。シンザン、テンポイント、ミホノブルボンなど、歴史に残る名馬たちを支え続けてきた当時でこの道47年目という大ベテランは、慎重に蹄を見つめ、確信を持って言った。
 「蹄鉄は、日本で芝を走ってきたときと同じものを履かせます。レッドディザイアは左前脚が内側に向く独特の歩様だけど、蹄鉄の減り方は均一で、バランスが非常に良いので、心配はありません」

 その言葉通り、レース本番、レッドディザイアはO・ペリエ騎手を背に後方から進み、最後の直線で一気に末脚を爆発させた。そして、後にドバイワールドCを制するグロリアデカンペオンをゴール寸前で差し切り、栄光を掴んだのだった。

 「痛かったけど、良い“力コブ”になりましたね」
 レース後、福田装蹄師は笑ってそう言った。実は彼はレース前、スタンドでスタートを見守ろうと身を乗り出した際、ガラス窓におでこをぶつけ、大きなタンコブを作ってしまっていたのだ。
 「タンコブで勝てるなら、いくらでもぶつけますよ」
 額をさすりながら、そう言って笑うその顔は、まるで少年のように輝いていた。レッドディザイアの勝利は、単なる1つのレースの結果ではない。それは、日本競馬が世界へ挑む勇気の象徴であり、競馬を支える職人たちの誇りが生んだ、優勝劇だったのだ。
(撮影・文=平松さとし)