2025.02.07
ピーヒュレク騎手のお話
今週末、京都競馬場できさらぎ賞(GⅢ)が行われる。昨年、このレースを制したのはビザンチンドリーム(栗東・坂口智康厩舎)で、その手綱を取っていたのは短期免許で来日していたレネ・ピーヒュレク騎手だった。
ピーヒュレク騎手は1987年4月、ドイツ・デッサウで生まれ、3歳年上の兄と共に育った。16歳で初めてサラブレッドに乗り、そのスピードに魅了されたという。20歳で騎手デビューを果たし、そのデビューの日に、当時ドイツで活躍していたフィリップ・ミナリク騎手と初めて言葉を交わした。
2014年、ミナリク騎手がバーデン大賞(GⅠ)に挑戦する際、ピーヒュレク騎手はその最終追い切りで、併せた相手馬に騎乗し、ミナリク騎手の誘導役を務めた。この追い切りが功を奏し、アイヴァンホウは見事バーデン大賞を制し、同年のジャパンC(GⅠ)にも出走。調教騎乗だけのためにピーヒュレク騎手も来日した。
そんなピーヒュレク騎手が一躍注目を集めたのは、2021年の凱旋門賞(GⅠ)だった。彼が騎乗したトルカータータッソが、先頭でゴールを駆け抜けた。レース後、ピーヒュレク騎手はテレビカメラに向かって、使用していた鞍を掲げた。その鞍には、かつての師であり親友でもあるミナリク騎手のサインが刻まれていた。ミナリク騎手は前年に落馬事故で騎手生命を絶たれ、精神的な影響もあって2023年9月に他界した。ピーヒュレク騎手はそのサインを掲げ、ミナリク騎手を偲びつつ、凱旋門賞を制したのだった。
昨年のきさらぎ賞で日本で初めて重賞を制覇したピーヒュレク騎手は、「フィリップが愛した日本で重賞を勝てて、心から嬉しいです」と語った。彼の言葉からは、競馬に対する深い思いと、仲間との絆が感じられた。
(撮影・文=平松さとし)
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