2024.10.23

スピルバーグの天皇賞

今から丁度10年前の2014年、天皇賞・秋(GⅠ)を制したのがスピルバーグだった。
 同馬を育てたのは伯楽・藤沢和雄調教師(引退)だった。
 11年の秋、2歳新馬戦でデビュー勝ちを飾ったスピルバーグ。翌年は日本ダービー(GⅠ)を目指すと、プリンシパルSを制し、大一番に名を連ねた。しかし……。
 「3歳の頃のスピルバーグは1度使うと回復に時間がかかる体質の弱さがあったため、ダービー後は脚部不安を発症してしまいました。勿論、大丈夫と思って使ったわけだけど、私のミスだと反省しました」
 当時、伯楽はそう言っていた。
 ここでじっくり休ませる事、実に約1年2カ月。13年8月に戦列に復帰するのだが、この時、鞍上に据えたのは丸山元気騎手。芝2000メートルの日高特別で先行したが、最後は伸びる事なく6着に沈んだ。しかし、このレースは1つのターニングポイントになったと藤沢調教師は言った。
 「新馬の頃からなかなか前に進もうとしない馬だったけど、休養前はとくにその傾向が強くなっていました。だから、この時、丸山君に『好位で立ち回ってほしい』と伝えたんです。慣れない形だったのでこの時は敗れてしまったけど、お陰でその後、前で競馬が出来るようになりました」
 続く1戦を先行して勝利するとさらに続くレースも連勝してオープン入り。オープン初戦となったメイSも勝ち、3連勝。そして毎日王冠(GⅡ)こそ3着に敗れたが、その後の天皇賞・秋(GⅠ)を見事に優勝。GⅠホースの仲間入りを果たすと、後にイギリスへ遠征。ロイヤルアスコット開催のメインレースといえるプリンスオブウェールズS(GⅠ)に出走するまでになったのである。
 こういった課程を聞くと、伯楽が育てるべくして育てた馬、という感じであるが、藤沢調教師はかぶりを振って言った。
 ちなみに天皇賞を制した時の最終追い切りは坂路で半マイル56秒0というごくごく平凡な時計だった。3歳時のような1度使うとガクッと来る事がなくなったのは、伯楽のこういった采配のお陰でもあったのだろう。
(撮影・文=平松さとし)

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