2024.10.04

凱旋門賞と日本のホースマン

「日本人は何故、凱旋門賞を目指すのですか?」
 今週末、フランスのパリロンシャン競馬場で凱旋門賞(G一)が行われる。日本からはシンエンペラー(牡3歳、栗東・矢作芳人厩舎)が挑戦。また、キーファーズでお馴染みの松島正昭オーナーが共同所有をするアルリファー(牡4歳、J・オブライエン厩舎)は武豊騎手を背に出走する予定。JRAでも馬券を発売するとの事で、今年も注目の大一番となっている。
 私も毎年のようにこのレースを現地で観戦しているが、現地の関係者や記者から必ず聞かれるのが、冒頭で記した質問「日本人は何故、凱旋門賞を目指すのですか?」だ。
 世界各国から出走馬の集まるブリーダーズCデーやドバイワールドCデー、香港国際競走デーと違い、凱旋門賞ウィークはその出走馬のほとんどがヨーロッパの馬達。この週のパリロンシャン競馬場は、凱旋門賞の行われる日曜はもちろん、前日の土曜日にも様々な重賞が行われるが、出走するのはヨーロッパの馬ばかり。これに唯一“非ヨーロッパ馬”として、日本馬が挑戦しに来る。毎年このような構図となっており、現地の人達の目には、日本勢の挑戦が不思議に映るようだ。
 実際、言われてみれば面白い現象ではある。GⅠレースは世界中にあり、その中には世界的に価値を認識されているレースも多々ある。逆に言えばそういうレースでも必ずしも日本馬が出ているというわけではないのに、何故か凱旋門賞だけには必ずと言ってよいくらい日本馬が名を連ねている。
 その理由は、我々日本人にも明確には分からないが、思いあたる節が全くないわけではない。
 中でも1つの理由に該当すると思われるのが、古く1969年まで遡る話である。今から半世紀以上前のこの年、日本馬が凱旋門賞に挑戦している。後に有馬記念連覇を果たすスピードシンボリだ。
 オーナーはシンボリの総帥・和田共弘氏(故人)。時代をかなり先取りしていたといえるこのオーナーは海外志向の強い人だった。後にシンボリルドルフのアメリカ遠征やシリウスシンボリのヨーロッパ長期遠征等も行った彼の最初の一歩がスピードシンボリ。キングジョージⅥ世&クイーンエリザベスSからドーヴィル大賞典を経て、凱旋門賞に挑ませた。そして、当時のトップジョッキーでありミスター競馬と言われた野平祐二騎手(後に調教師、故人)をかの地に長期滞在させて、鞍上に据えたのだ。この臨戦過程を見るだけでも、時代の先取り感が伺えるだろう。
 更にその3年後の72年にはメジロムサシが海を越え、凱旋門賞に挑んだ。こちらは、今はなきメジロ牧場の総帥・北野豊吉氏の意向による挑戦だったようだ。
 この他にも現在の社台ファームやノーザンファームの礎を築いた吉田善哉氏(故人)やサクラの全演植オーナー(故人)、73年の凱旋門賞で3着したハードツービートのオーナー樫山純三氏(故人)ら、ヨーロッパ競馬を標榜とする大オーナーが沢山いた。現在の日本のホースマンに、彼等の血が脈々と受け継がれているのも、日本人が凱旋門賞を目指す理由だと思えるのだ。
 さて、そんな話を以前、武豊騎手とした事がある。すると「自分にも責任があるかも……」と言った彼は次のように続けた。
 「昔からずっと『凱旋門賞を勝ちたい』って言い続けていますからね。多少なりとも影響を与えてしまったかもしれませんね……」
 レジェンドの発言力の強さは折り紙付き。確かに少なからず影響はあったかもしれない。
 さて、そんな日本のナンバー1ジョッキーが今年はアルリファーでこのヨーロッパ最大の1番に臨む。同馬はアイルランドのジョセフ・オブライエン調教師が管理する4歳牡馬。混戦模様の今年、大いにチャンスのある1頭だ。悲願の凱旋門賞制覇なるか。期待したい。
(撮影・文=平松さとし)

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