2024.09.06

堀内岳志調教師

凱旋門賞(GⅠ)が近付いて来た。当方にも関連の原稿依頼がいくつか来ており、その関係で写真を見直した。そんな中で、面白い写真が出て来た。馬房の中にいる1頭の馬と、横に立つ1人の男。2010年のフランスで撮影した一葉だ。
 馬は凱旋門賞に挑戦したナカヤマフェスタ。男は当時、厩務員だった堀内岳志現調教師である。
 1973年10月5日生まれの堀内調教師。生まれは大阪だが、中学3年の時、親に連れられて美浦トレセンの近くに引っ越した。高校の同級生には親がトレセンで働いているという子が沢山いた事から、競馬に興味を持った。
 その後、大学に入学したが、アイネスフウジンやオグリキャップの活躍に心が躍り、中退した。
 「競馬の世界で働きたいという気持ちがますます強くなり、ならば1日も早く現場を経験した方が良いと考えました。だからあと少しで大学卒業だったけど、辞めて牧場に就職しました」
 こうして牧場で働いていた1999年の事だ。牧場の研修でヨーロッパへ渡り、凱旋門賞を観戦した。
 「その時、一緒に見た牧場の人が『自分の息子が凱旋門賞で馬を曳きます』と言っていました」
 その人は名を佐々木と言った。この年、エルコンドルパサー(美浦・二ノ宮敬宇厩舎)と共にフランスで約半年を過ごしていた佐々木幸二調教助手の父親だった。
 自身の誕生日の2日前の10月3日、実際に凱旋門賞を観戦した。パドックで佐々木助手が曳くエルコンドルパサーを見て「自分もいつかここで馬を曳いてみたい」と思った。更に凱旋門賞でエルコンドルパサーが2着に善戦するのを見て、その思いは強くなった。
 2年後の2001年にJRA競馬学校に入学すると、更に翌年の02年、美浦トレセン入り。そして、更に翌03年、運命に導かれるようにエルコンドルパサーと同じ二ノ宮厩舎に入る事になった。
 不思議な流れはまだ終わりではなかった。7年後の10年、堀内厩務員が担当するナカヤマフェスタが宝塚記念(GⅠ)を優勝すると、勇躍フランスへ遠征。凱旋門賞に挑戦する事になったのだ。
 「こんな夢のような願いが叶うとは、という気持ちでした」
 ロンシャン競馬場(現パリロンシャン競馬場)のパドックで、ナカヤマフェスタを曳きながら、堀内厩務員はそう思っていたと言う。管理する二ノ宮調教師、手綱を取る蛯名正義騎手(現調教師)、現地で調教をつけた佐々木調教助手は全てエルコンドルパサーと同じ。憧れの舞台に、今度は自分がそのチームの一員として参戦出来たのだ。
 エルコンドルパサーの時と同じ10月3日に行われたこの年の凱旋門賞。ナカヤマフェスタは大善戦をしたが、結果はこれまたエルコンドルパサーと同じ2着だった。
 「フェスタは良く頑張ってくれたけど、惜敗という結果に関してはやっぱり悔しいです」
 堀内厩務員はそう言って、唇を噛んだ。
 これでヨーロッパ最大のレースで2着2回をマークした伯楽・二ノ宮調教師は、その僅か8年後の18年、定年を待たずに厩舎を畳んだ。
 蛯名騎手は調教師試験に合格して騎手を引退。22年に開業した。
 また、佐々木調教助手は現在、堀宣行厩舎へ転厩。子息の大輔君は蛯名厩舎が開業したのと同じ22年に騎手デビュー。デビュー3年目の今年、サトノカルバナル(美浦・堀宣行厩舎)で函館2歳S(GⅢ)を優勝し、重賞初制覇を飾っている。
 そして、堀内厩務員も調教師試験に合格し、彼等と同じ22年に開業。現在に至っている。
将来、堀内調教師が凱旋門賞に挑み二ノ宮厩舎時代のリベンジを果たす日は来るのだろうか。その時の鞍上が佐々木大輔騎手となれば、面白いが、果たしてどうなるか。今後の彼等の動向に注目したい。
(撮影・文=平松さとし)

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