2024.07.22

キングジョージに挑んだハーツクライ

先週は小倉競馬場で中京記念(GⅢ)が行われ、今週末は遠くイギリスのアスコット競馬場でキングジョージ&クイーンエリザベスS(GⅠ)のスタートが切られる。
 今年の中京記念を勝利したアルナシームを管理するのは栗東・橋口慎介調教師。お父様は橋口弘次郎元調教師で、2006年にはハーツクライでキングジョージ&クイーンエリザベスSに挑戦した伯楽だ。
 3歳時には腰が甘く、大きなタイトルにあと少しのところで手が届かない競馬ぶりが目立ったハーツクライ。04年のクラシック戦線では、日本ダービー(GⅠ)が当時のレコードタイムで走ったキングカメハメハの2着に惜敗。菊花賞(GⅠ)では1番人気に支持されたものの、結果は7着。翌05年には当時GⅡだった大阪杯で2着すると、宝塚記念(GⅠ)も2着。
 しかし、この年の夏「やっと腰がパンとして」(橋口弘次郎当時調教師)くると、ジャパンC(GⅠ)ではこれまた当時のレコードタイムである2分22秒1で勝利したイギリスのアルカセットと同タイムで走破。ハナ差の2着に好走した。
 そして、続く有馬記念(GⅠ)では無敗の3冠馬ディープインパクトに初めて土をつける激走で優勝してみせた。
 こうして06年に飛んだドバイでドバイシーマクラシック(GⅠ)をも勝利すると、冒頭で記したようにイギリスのキングジョージ&クイーンエリザベスSに挑むのだが、実はこの挑戦には1つのエピソードがあった。
 ドバイシーマクラシックを優勝した際、マスコミからマイクを向けられた橋口弘次郎調教師は言った。
 「次はキングジョージに挑みたいです!!」
 この日、ドバイに集まった世界中の記者達がこれを打電したわけだが、橋口調教師は後に次のように語っている。
 「多分にリップサービスで言ったつもりだったのですが、ニュースになってしまい、ひくにひけなくなりました」
 そうは言うものの、単なる思い付きではないのも事実だった。
 ハーツクライは社台ファームの生産馬だったが、更に遡る事、丁度10年。同牧場の生産馬であるダンスインザダークで、橋口調教師はキングジョージ&クイーンエリザベスSに挑戦しようと計画した事があったのだ。
 「『ダービーを勝つようならキングジョージに行きましょう』と吉田照哉社長がおっしゃられていました。残念ながらそのダービーは2着に敗れてしまったため、遠征は立ち消えたのですが、ハーツクライが10年越しにそのチャンスをくれました」
 勇躍アスコットの2400メートルを走ったハーツクライは、最後の直線で1度、先頭に立つシーンを演出。結果、ハリケーンランとエレクトロキューショニストという当時のヨーロッパのトップホースにかわされて3着に惜敗したが、2400メートル戦のメッカともいえるヨーロッパで、見せ場を作ってみせた。それは、彼が当時の世界レベルの馬だった事の証明といえるだろう。
 現在、東京サラブレッドクラブの現役馬で、ハーツクライを父に持つのはレッドファーロ(栗東・松永幹夫厩舎)、レッドベルアーム(栗東・藤原英昭厩舎)、ルージュアルルとルージュスエルテ(いずれも美浦・国枝栄厩舎)。大器晩成だった父のように、これからまだ爆発する馬が、この中に隠れているかもしれない。期待しよう。
(撮影・文=平松さとし)

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