2024.07.02

エルコンドルパサーのサンクルー大賞典制覇

1999年の7月4日。フランス、パリ郊外にあるサンクルー競馬場で行われたサンクルー大賞典(GⅠ)。この年は10頭立てであり、日本のGⅠに見慣れていると少ない頭数に思えるが、これには理由があった。
欧州ではレースの総賞金に対する登録料の割合が日本の比にはならないくらい高い。つまり、高い賞金のレースになるほど出走するだけで高い登録料を払う必要があるのだ。
だから、強い馬がいるほど「勝負にならない」と思った馬の陣営は登録を見合わせる。そのため、賞金の高いレースは少ない頭数になりがちだし、少ない頭数はすなわち強い馬、勝負になると思われる馬だけが揃う傾向にあるわけだ。
冒頭で記した99年のサンクルー大賞典もそうだった。10頭立てのそのメンバーは当時のヨーロッパのトップクラスが揃っていた。
前年、デビューから4連勝で凱旋門賞(GⅠ)を勝っていたサガミックスがいた。鞍上は日本でもお馴染みの名手O・ペリエ騎手だ。
その凱旋門賞は3着だったが、バーデン大賞(GⅠ)を制していたタイガーヒルもいた。
また、前年にフランスのジョケクラブ賞(GⅠ、ダービーに相当)でクロコルージュを破って優勝し、続くアイルランドダービー(GⅠ)も連勝したドリームウェルもいた。こちらの手綱を取ったのはアメリカのリーディングジョッキーで、その後、フランスでも大活躍をしたC・アスムッセン騎手だ。
また、当時「世界最強牝馬」と呼ばれ、ドイツダービー(GⅠ)やバーデン大賞(GⅠ)を勝利、アメリカのブリーダーズCターフ(GⅠ)でも2着したドイツの年度代表馬ボルジアもいた。彼女には当時のイギリスのリーディングジョッキーであるK・ファロン騎手が乗っていた。
こういった錚々たるGⅠ馬達に胸を借りるべく挑戦したのが日本調教馬のエルコンドルパサーだった。
美浦・二ノ宮敬宇調教師(引退)に管理された同馬は、秋の凱旋門賞制覇を大目標に掲げ、約半年前の春からフランスのシャンティイに滞在。フランスでの初戦・イスパーン賞(GⅠ)でクロコルージュの2着した後、このサンクルー大賞典に名を連ねて来たのだ。
当時、二ノ宮敬宇厩舎所属だった佐々木幸二調教助手(現・堀宣行厩舎。後に佐々木大輔騎手の父となる)は、レース前に言っていた。
「フランスに着いた直後の調教は少しモタモタした感じで、初戦のイスパーン賞も負けてしまいました。ただ、それが、フランスの芝が合わなかったのか、馬自身が休み明けのせいだったのか、分かりかねていました。
ところが叩かれた事で大分動きが良くなりました。だから、芝がダメという感じではなさそうです」
つまり、今回の状態で負けるようなら「ヨーロッパの馬にはかなわないのかも……」と考えざるをえない。そんな心境で臨んだという。
結果は皆さんご存じの通り。ヨーロッパの強豪を相手にエルコンドルパサーはゴール前ゆうゆうと抜け出す。最後は2着のタイガーヒルに2・5馬身(日本流にいう2馬身半)差をつけて優勝。3着以下はドリームウェル、サガミックス、ボルジアと実力馬が上位を独占した事で、エルコンドルパサーの強さが更に浮き彫りになった。
後に凱旋門賞でも2着するこのエルコンドルパサーに騎乗していたのは蛯名正義騎手。現在はレッドモンレーヴらを管理する調教師である。
 また「強くなった」と言われて久しく、実際に世界各国で大レースを制しまくっている日本馬だが、ヨーロッパで2400メートルのGⅠを勝ったのは、未だにこの時のエルコンドルパサー、ただ1頭である。
(撮影・文=平松さとし)

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