2024.06.25

スズカデヴィアスの挑戦

今週末、函館競馬場では巴賞が行われる。芝1800メートルのオープンレース。この後の函館記念(GⅢ)を占う意味でも重要な一戦で、過去にも2016年の覇者レッドレイヴン(美浦・藤沢和雄厩舎)等、数々の駿馬がこのレースを優勝している。
 17年にこのレースを制したのがスズカデヴィアス(栗東・橋田満厩舎)だ。
 単勝51・9倍は16頭立ての13番人気。ダークホースの1頭に過ぎなかったが快勝すると、同年の秋にはなんと海を越え、赤道をも越え、オーストラリア遠征を果たした。
 オーストラリアへの日本馬の遠征自体は何も珍しい事ではない。しかし、その多くは10、11月に行われるコーフィールドC(GⅠ)やコックスプレート(GⅠ)、そしてメルボルンC(GⅠ)といったメルボルン地区のスプリングカーニバルに参戦するか、4月にシドニー地区で行われるクイーンエリザベスS(GⅠ)やドンカスターマイル(GⅠ)等のザチャンピオンシップスといった開催に挑む例。
 そういう意味で、このスズカデヴィアスの遠征は異質のモノだった。
 オーストラリアへ渡ってまず走ったのは、コーフィールドCで、ここまではよくある日本馬の挑戦と同じだった。しかし、ここで8着に敗れた後の進路が今までに例をみないモノだった。
 そのままオーストラリアに残ったスズカデヴィアスは、2戦目でマッキノンS(GⅠ)に出走。ここも7着と敗退すると、次なる1戦は準重賞のバララットC。グレードのつく重賞ではないレースに出走したのだ。
 この時点で11月も終わろうかという時期だったが、彼の遠征はこれで終わりではなかった。獣医師が診断した結果、ノドに疾患が認められると、現地で緊急手術。傷が癒えるのを待ってから戦線に戻ったのは翌20年になってから。そして、そこから3月まで更に3戦。結局、半年に及ぶ遠征で計6戦。勝つ事こそ出来なかったが、日本馬にとっては初めてとなる試みをしてみせたのだ。
 私もオーストラリアまでその挑戦を見に行かせてもらったが、この時のチャレンジがパイオニアと言えたのは、バララット競馬場の厩舎に入厩した事だった。
 オーストラリアへ遠征する馬の情報に目を通しておられるファンならウェルビー競馬場という名に聞き覚えがあるだろう。検疫厩舎のある競馬場で、オーストラリア入りする馬は、まずここで検疫を受けなければならない。そして、通常はそのまま検疫厩舎に滞在しつつ、現地のレースに挑むのだ。
 ところがこの時のスズカデヴィアスは、ウェルビーを飛び出し、先述したようにバララット競馬場にある厩舎に滞在した。ウェルビー競馬場を飛び出すという事はすなわち検疫厩舎を出るという事で、その後、帰国する際の手続きが煩雑になったり、帰国後の着地検疫期間が延びたりと、多くのデメリットが生じる。
 しかし、それを承知でスズカデヴィアスはバララットへ移動した。唯一と言っても良いかもしれないが、最大のメリットとなるモノが、バララットにはあるのだ。
 ウェルビー競馬場にはなくて、バララット競馬場にあるモノ。それは調教用の坂路コースだった。
 当時、同馬の長期に及ぶ遠征に帯同していた児玉武大調教助手は言っていた。
 「バララットにある厩舎には日本人のホースマンもいて、何かと助けてくださります。それに、やはり坂路があるので、負荷をかけやすいのが良いですね」
 橋田満調教師(引退)は同時期に、ディアドラがヨーロッパに長期滞在して転戦していた。当時で65~66歳の大ベテラン調教師ではあったが、挑戦する心を失っていなかった。つくづく年齢による引退というのが残念でならないが、またいつかこのようなチャレンジをしてくれる日本人ホースマンが現れる事を願いたい。
(撮影・文=平松さとし)

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