2024.06.05

ルメール騎手のメルボルンC制覇

6月4日の夜、都内でメルボルンCワールドツアーのお披露目パーティーがあった。
 毎年11月の第1火曜日、現地時間午後3時にスタートを切るメルボルンカップ(GⅠ)。“国の動きを止めるレース”と言われる南半球最大のこのレースの優勝馬関係者に贈られるのが、18金のカップ。日本円にして約7800万円のこのカップを、154日かけて世界5カ国巡った後、最後はオーストラリアに帰り、レース会場となるフレミントン競馬場に運ばれる(巡るのは合計38都市)。それがこの“メルボルンCワールドツアー”で、今年が実に22回目。日本から開幕し、この後はアメリカのニューヨーク、ベルモントパーク競馬場に運ばれるという。
 そんなワールドCツアーの幕開けとなった日本ラウンドのこのパーティーに、スペシャルゲストとして呼ばれたのがクリストフ・ルメール騎手だ。
 同騎手は13年前の2011年、ドゥーナデンに騎乗してメルボルンCを優勝しており、会場ではその当時の模様のVTRも流された。レッドカドーとのハナ差の勝負に会場は改めて湧き、VTRが止まった後はルメール騎手に大きな拍手が贈られた。
 ところで、ドゥーナデンにルメール騎手が乗る事になった理由は、この馬がフランスのM・デルザングル調教師が管理していたから、なのだが、そこに至るには紆余曲折があった。
 ドゥーナデンはオーストラリア入り後、メルボルンCの叩き台として、ジーロングC(GⅢ)を走っている。ここを見事に勝利しているのだが、その時、騎乗していたのは日本でもお馴染み地元オーストラリアのクレイグ・ウィリアムズ騎手だった。また、メルボルンCの後には香港へ転戦し、香港ヴァーズ(GⅠ)も優勝するのだが、この時もその鞍上はウィリアムズ騎手だった。
 ところが同騎手はメルボルンCの直前に騎乗停止処分となってしまう。
 もっとも、この騎乗停止処分が確定するまでには時間を要した。そのためルメール騎手が現地へ向かう飛行機に乗った段階ではまだウィリアムズ騎手がメルボルンCに乗れる可能性が残っていたのだ。
 「乗れないかもしれないのを覚悟の上で、オーストラリアへ向かいました」
 ルメール騎手は後にそう語った。結果、正式に騎乗が決まったのはレースの前日。例年、メルボルンC前日には関係者が目抜き通りをパレードするのだが、その時点で初めて正式にウィリアムズ騎手の騎乗停止が決まり、ルメール騎手が乗れる事になったという。
 さて、こうして騎乗すると、先述した通り、僅差の接戦を制するのだが、実はこれにも一つのエピソードがあった。
 「今は亡くなったJ・マーシャルさんという元ジョッキーと一緒に、レース前に馬場を歩きながら『この地点では我慢』『ここではこのコースを取るのが良い』『ここまで来たら仕掛けて』等、事細かくアドバイスをもらいました。そして、実際にその通りドンピシャの競馬になりました。アドバイスをもらっていなければ、勝てなかったかもしれません」
 今回のパーティーで改めて当時の話を聞かれたルメール騎手は、次のように答えた。
 「フランス人である僕がメルボルンCに乗るチャンスはそうそうありません。それを乗るだけではなく、勝てたのだからこんなに嬉しい事はありませんでした。勝利が分かった瞬間の嬉しさは今でも忘れられない思い出の1つです」
 メルボルンCは別名ピープルズカップとも言われるが、優勝騎手にもひと回り小さいピープルズカップが贈られる。ルメール騎手にとっては数あるトロフィーやカップの中でも「とても大事なモノの1つ」だそうで、今でも日本の家に飾られている。
(撮影・文=平松さとし)

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