2024.05.08

ウオッカのヴィクトリアマイル

今週末、東京競馬場でヴィクトリアマイル(GⅠ)が行われる。
 今年がまだ19回目と歴史の浅いレースだが、勝ち馬には数々の名牝の名が刻まれている。中でも名牝であり、且つ強烈な勝ち方をしたのが2009年の勝ち馬ウオッカだ。
 07年には日本ダービー(GⅠ)を、08年には安田記念(GⅠ)と天皇賞・秋(GⅠ)をと、牡馬混合のビッグレースを勝ちまくったこの牝馬は、武豊騎手を背に2着のブラボーデイジーに1秒2差、着差にして7馬身もの差をつけて楽勝。数多の名馬の背中を知る日本のトップジョッキーをして「牝馬同士なら案の定のぶっち切りでしたね」と感嘆の声をあげさせた。
 しかし、この楽勝劇へ向かう道は決して平坦ではなかった。
 ヴィクトリアマイルの前二走にわたり、ウオッカはドバイへ遠征していた。前走は3月末の土曜日に行われるドバイワールドカップデーでドバイデューティーフリー(GⅠ、現在のドバイターフ )を走り、更にその前には前哨戦のジェベルハッタ(GⅡ)にも使われた。その後、前哨戦を使う日本馬は少なくなったし、ドバイの前にサウジアラビアでも大きな開催が行われるようになった昨今では、もうドバイの前哨戦を走る日本馬は皆無になりそうだ。
しかし、当時は前哨戦を使われた馬が本番を制すケースが相次いだ事もあり、日本陣営もいくつかの厩舎が右へ倣えで、現地でひと叩きした。ウオッカを育てた角居勝彦調教師(引退)もその1人。とくにウオッカの場合、前年は本番のドバイデューティーフリーのみに走り4着に敗れていたため、この年は臨戦過程を変更し、ジェベルハッタを使ってきたのだ。
しかし、残念ながらこの努力は結実しなかった。前哨戦はベストターンドアウト賞にこの選出されたものの、レースでは5着に敗れ、叩かれた事で期待度の増した本番でも結果は7着。「海外で勝てるだけの能力があるのは実績を見ても明らか」と武豊騎手は口にしたが、実際には2年連続で傷心での帰国となってしまったのだ。
その後、ヴィクトリアマイルを目標に改めて仕上げた。
「まずは遠征の疲労の回復に努めました。それが順調にいけた事でヴィクトリアマイルを正式な目標として、仕上げ直しました。課程としては良かったです」
角居調教師は当時、そう口にすると、更に続けた。
「国内で、しかも実績のある東京競馬場なら巻き返してくれるだろうという気持ちがある反面、ドバイが思った以上に走ってくれなかったので、大丈夫かな?という不安もありました」
しかし、そんなモヤモヤした気持ちを吹き飛ばしてくれたのは誰あろうウオッカだった。
絶好のスタートを決めると、無理に前へ行く事なく好位に控えて追走。3~4コーナーで徐々に前との差を詰めると、ラスト400メートル前後の地点で、ほぼ持ったままこの上ない手応えで先頭に並びかけた。
「ウオッカの場合、正直あまり早く先頭に立って抜け出すような競馬をしたくないと考えていました。でも、あまりにも手応えが違い過ぎました。押したり叩いたりするわけでもなく、楽なままスーッと先頭に並んでいきましたから……」
レース後、武豊騎手は驚いたような感心したような、そんな表情でそう語った。
最後の直線はもう独擅場だった。天才騎手が言うように追うわけでも叩くわけでもないのに、後続との差がどんどん開いた。先述したようにその差はゴールの地点で7馬身にも開き、1分32秒4の好タイムで走り抜けた。
これが自身5つ目のGⅠ制覇となったウオッカは、続く安田記念で連覇を決めると、秋にはジャパンC(GⅠ)も優勝。得意の東京競馬場であれば距離を問わずに走れる事を証明すると共に自身7つ目のGⅠ勝利という当時のJRAタイ記録を残し、10年にターフを去った。
 ちなみにラストランとなったのは10年のドバイ。ワールドカップ(GⅠ、当時オールウェザー)の前哨戦であるアルマクトゥームチャレンジラウンドⅢ(当時GⅡ、現アルマクトゥームチャレンジ、GⅠ)に出走すると、鼻出血を発症し8着に敗退。そのままアイルランドへ渡り繁殖に上がった。そして、19年4月1日、そのまま日本に帰る事なく、かの地で星となった。
 さて、今年のヴィクトリアマイルにもドバイ帰りのナミュールが武豊騎手と参戦する予定だ。一方、東京得意なルージュリナージュ(牝5歳、美浦・宗像義忠厩舎)も出走を予定している。果たしてどんな結果が待っているだろう。注目したい。
(撮影・文=平松さとし)

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