2024.04.10
ディーマジェスティの皐月賞制覇
1996年4月28日の東京競馬場。
この日、行われた芝1600メートルの未勝利戦に、藤沢和雄調教師(引退)は1頭の牝馬を送り込んだ。
既走馬相手に、デビュー戦となったこの馬は、それでも1番人気の支持を受けた。すでに名調教師としてその名を全国区にしていた藤沢和調教師が満を持して出走させる超良血馬という事で、人気になったこの馬は、名をシンコウエルメスといった。藤沢和調教師は後に次のように当時を述懐した。
「シンコウエルメスは兄姉がイギリスのダービー馬ジェネラスと、オークス馬イマジン。オーナーが、相当の期待を持って購入し、日本に連れて来た馬でした」
このレース、結果は5着に敗れてしまうのだが、これに対しても前向きに述べた。
「すでにレースを経験している馬達を相手に、最後は伸びていましたからね。及第点でしょう」
だから美浦トレセンに戻った後、次走に備えた。ところが、そんな折り、アクシデントに見舞われた。調教中に骨折してしまったのだ。
「軽めの調教だったのに、意外と大きな怪我になってしまいました。充分に注意はしていたつもりだったけど『もっとリスクを抑えて、時間帯やコース選択等、出来たのではないか?』と反省しました」
診察した獣医師からは「安楽死もやむなし」と言われるほどの重症だった。しかし、伯楽は素直にそれを呑み込めなかった。
「オーナーが相当の期待を持って輸入してきたわけですけど、期待していたのは競走馬として、だけではありませんでした。これだけの良血馬ですからね。繁殖後の事も考えて、期待していたわけです」
だから、獣医師に「何とか一命だけは取り留められないでしょうか?」と頭を下げた。その結果……。
「『獣医学的な限界はあるけど、やるだけの事はやってみましょう』と返事をもらえました」
こうして大手術が施された。捻じれるように3本も入ったヒビに対し、縦横合計4本のステンレス製のネジを入れ、骨と骨とをつなぎとめた。全身麻酔をかけた上での3時間に及ぶ大手術だった。
「その結果、ひとまずは成功しました」
ただ、胸を撫で下ろすのはまだ早かった。術後も感染症や蹄葉炎の心配がつきまとう。麻酔が切れた途端に暴れ出すので、事故が起きる可能性も少なからずあった。
これらの壁を乗り越えて、命を落とさずに済んだとしても、競走馬として復帰するのはかなわぬ夢だった。にもかかわらず、藤沢和調教師とその厩舎スタッフは、一丸となって懸命にシンコウエルメスを介護。そんな日が2カ月も続いた。
「そのあたりでやっと何とかなりそう、と……」
更に1カ月、つまり術後3ケ月を経過して、ようやくシンコウエルメスは北海道の牧場へ飛び立てた。伯楽のファインプレーとも思えるエピソードだが、当の本人はかぶりを振ってから口を開いた。
「長距離輸送にも耐えられるという体になってから、繁殖に上がるために北海道へ運ばれました。獣医さんらの努力のお陰であって、私はとくに何もしていません」
さて、こうして繁殖に上がったシンコウエルメスは、母として2頭の牝馬を日本に残した。
1頭はエルノヴァ。2004年のエリザベス女王杯(GⅠ)ではアドマイヤグルーヴ、オースミハルカに続く3着に好走すると、翌05年の暮れにはステイヤーズS(GⅡ)で、菊花賞馬デルタブルースのアタマ差2着。名バイプレーヤーとして活躍した。
そして、もう1頭はエルメスティアラ。こちらは未出走で終わったが、繁殖に上がってからは実に子出しが良かった。セイクレットレーヴ、ワールドレーヴ、ホクラニミサ他が続々と勝ち上がった。そして、13年生まれのディープインパクト産駒の牡馬は、皐月賞(GⅠ)を優勝した。
シンコウエルメスが予後不良となっていたらこのクラシックホースは世に出ていなかった事になる。改めて「大ファインプレーでしたね?」と藤沢和調教師に声をかけると、伯楽は答えた。
「何もファインプレーとは思っていないけど、1つだけ、好い判断だったとすれば、エルメスティアラを早目に繁殖にあげた事かな……。何となくだけど、お母さんと同じような雰囲気を感じたので、デビューさせる前にあげました。勿論、そのまま調教を続けていたとしても無事にデビュー出来たかもしれませんけどね……」
ディーマジェスティが皐月賞(GⅠ)を制したのが16年だからそれからもう8年が過ぎた事になる。今年の皐月賞は今週末の14日に行われる。果たしてどんなドラマが待っているだろう。
(撮影・文=平松さとし)