2024.03.26

レッドディザイアのドバイワールドカップ

 2010年、当時、オールウェザーの馬場で行われていたドバイワールドカップ(GⅠ)。ここに挑んだのがレッドディザイア(栗東・松永幹夫厩舎)だ。
 当時は本番と全く同じ舞台で行われていた前哨戦のアルマクトゥームチャレンジラウンドⅢ(現アルマクトゥームチャレンジ)に出走。同じく日本から挑んだウオッカ(栗東・角居勝彦厩舎、解散)の方が注目を浴びていたが、結果はレッドディザイアが見事に勝利。このレースでの結果次第で次走をドバイワールドカップ(GⅠ)にするかドバイデューティーフリー(現ドバイターフ、GⅠ)かと言われていた伏兵馬だったが、鮮やかに勝った事で、ターゲットをドバイワールドカップ(GⅠ)に絞ったのだった。
過去にはシンザン、テンポイント、ミホノブルボンらにも携わり、当時でこの道47年目という大ベテラン装蹄師の福田勝之氏が、ドバイまで付き添い、レース前に蹄をみると、次のように語った。
「レッドディザイアは左前脚が内側へ向く独特の歩様をする馬ですが、蹄鉄の減り方に関しては平均していてすごくバランスが良いです。馬場はオールウェザーになりますが、前走も今回も蹄鉄は日本で芝を走る時と同じものを使用します」
追い切りも同様の蹄鉄を履いて行うと、半マイル50秒台という抜群の時計をマーク。これに目をパチクリして驚きの表情を見せたのは、この追い切りに跨っていた齋藤崇史調教助手(現調教師)だ。彼は言った。
「全く強く追っていないし、むしろ何もしていないんですけど、やはり走りますね」
現在は開業し、クロノジェネシス(2020年有馬記念他)らを育てた若き名調教師だが、当時はまだ27歳。それでもアイルランドの厩舎で働いた経験等もあり、この時の遠征ではほぼ1人でレッドディザイアに向き合っていた。
レース当該週に現地入りした松永幹夫調教師は「齋藤君のお陰で良い感じに仕上がっていますね」と笑みをみせた。そして、それに同意したのが、この時、手綱を取ったC・スミヨン騎手だ。齋藤調教助手に引かれてパドック入りしたレッドディザイアに跨ったスミヨン騎手は、レース後、次のように語っていた。
「パドックで乗った時から走る気を感じたので、すぐに馬場へ出してもらうようにしました。レースでも行く気を見せて、良い仕上がりだった事が分かりました」
スタートは悪くなかったが、すぐに被されるようになり、厳しい位置での競馬になった。そのせいもあってか、向こう正面では鞍上の頭が上下に揺れ、行きたがっている素振りが感じられた。それでも直線、外へ出されると、一瞬、伸びる感じに見えた。
しかし、そこまでだった。
結果は残念ながら11着。レースを終えたスミヨン騎手は次のように言った。
「レースの前に花火を打ち上げての派手な演出があったので、それで気持ちが入り過ぎてしまったのかもしれません。日本でのこの馬を知らないので何とも言えませんが、走る馬である事は分かったので、本来の力を発揮出来れば、もっと好勝負が出来たと思います」
「良い夢をみさせてもらいました」
そう口を開いたのは松永幹夫調教師だ。
「結果は残念でしたけど、前哨戦を勝って、オールウェザーでも海外でも、充分に勝負出来る事が分かったのは大きな収穫です。これからはこの経験を無駄にしないようにして、いずれ海外で成果を残せるようにしたいです」
 ちなみに翌11年には同じくオールウェザーで行われたドバイワールドカップ(GⅠ)をヴィクトワールピサ(栗東・角居勝彦厩舎)が優勝し、16年には松永幹夫厩舎のラニがUAEダービー(GⅡ)を勝利。その後、アメリカへ渡ると、ケンタッキーダービー(GⅠ)を初めとしたクラシック3冠に出走した。これらがレッドディザイアの挑戦と無関係でない事は明らかだろう。
(撮影・文=平松さとし)