2024.02.16

カジノドライヴがアメリカ遠征した理由

 2月というとJRAのその年、最初のGⅠであるフェブラリーSが行われる月である。2009年、ダートのこのGⅠレースで2着に健闘したのがカジノドライヴだった。
 遡る事、丁度1年。08年2月23日に、同馬はデビューした。京都競馬場ダート1800メートルの新馬戦。天才・武豊騎手を背に、最後までほぼ持ったまま2着に2秒3もの差をつける圧勝劇。誰もがそのパフォーマンスに驚かされた。
 しかし、本当に驚かされたのはその後の事だった。管理していたのは藤沢和雄調教師。日本の競馬界を代表するこの伯楽は、キャリア僅か1戦のカジノドライヴを、次走でアメリカへ連れて行くと発表したのだ。当時の藤沢和調教師の弁は、次のようだった。
 「カジノドライヴは兄も姉もベルモントSを勝っています。オーナーがアメリカでこの馬を買った際、向こうの人達に『きょうだい3代制覇が懸かっていたのに日本へ行ってしまうのか……』とガッカリされたそうで、それを見て日本だけに留めては行けないと感じられたようです」
 藤沢和調教師がこう語るようにカジノドライヴの兄ジャジルと姉ラグズトゥリッチィーズは、いずれもアメリカ3冠競走の末尾を飾るベルモントS(GⅠ)の勝ち馬だった。そのためカジノドライヴを手にした山本英俊オーナーは、この馬もチャンスがあればアメリカへ連れて行き、ベルモントSに挑戦させようと決断したのであった。
 結果、新馬戦を圧勝したカジノドライヴはすぐにアメリカへ遠征。ベルモントSが行われるベルモントパーク競馬場内の厩舎に入り、前哨戦のピーターパンS(GⅡ)に走る事になった。
 当時、同馬と共に現地入りした手島正勝厩務員は言った。
 「タイキブリザードがウッドバインで行われたブリーダーズCに挑戦した際、最初に入ったのがここ(ベルモント)でした。馬もレースも違うけど、リベンジしたいですね」
 タイキブリザードが初めてブリーダーズCに挑戦したのは1996年。同馬の担当でもあったのが、手島厩務員だったのだ。
 結果、カジノドライヴは前哨戦のピーターパンSを先頭でゴールイン。日本調教馬として初めてアメリカのダートGⅡ競走を優勝してみせた。残念ながらベルモントSの直前にザ石をしてしまい、歩様が乱れた。そのため本番は回避せざるを得なくなったが、当時の勇気ある決断が翌年のフェブラリーSでの好走につながったのは疑いようがないだろう。カジノドライヴのエピソードは他にもあるので、また別の機会にも記していこう。
(撮影・文=平松さとし)