2023.10.25

麒麟たち

中国古来の伝承には、〝聖獣〟と崇(あが)められる並外れた技や特別な力を持つ動物たちが登場します。宙に昇り天翔る青龍、大空から大地を俯瞰する鳳凰などが有名ですが、麒麟(きりん)もその一つで、才能豊かで技芸に優れ将来を嘱望され溌剌と輝く若者を喩(たと)えます。何にせよ、こうした姿を見るのは気持ちが良く、先々の楽しみが膨らむ思いにワクワクさせられるものです。この週末も、こうした風景にいくつか出会える幸福に恵まれました。最初にご報告しなければならないのは、この週末にランフランコ・デットーリが「ブリティッシュ・チャンピオンズデー」で披露した2鞍の〝神騎乗〟でしょう。本来なら今週末がイギリスでのラストライドになるはずだったのが、突然(ファンの誰もが密かにそう考えていたように)引退を撤回、来季はアメリカで騎乗を続け、まずはケンタッキーダービー制覇を目指すと言い出しました。ヤンチャですが、誰もが納得のランフランコがそこにいます。15歳でイギリスで見習騎手となり、弱冠23歳でゴドルフィンのエースジョッキーに抜擢されて隆盛を極め、とくに日本のファンには思い出が深いジャパンCでは、シングスピール、ファルブラヴ、ダートのイーグルカフェなど来日するたびに勝利を重ねた印象しか残らないほど。東日本大震災の年のダービーにはモハメド殿下とともに来日、殿下所有のデボネアの出走は被災者の皆さんの心に響く勇気の励ましになりました。イギリスでのラストライドにアスコット競馬場ほどお似合いの競馬場はないでしょう。この伝統と品格で右に出るものはいないコースで史上初の1日7レース全勝を達成、数々の名勝負を繰り広げてきました。馬の鞍上に立ち上がり万歳スタイルで飛び降りる勝利の儀式〝フライングディスマウント〟(通称デットーリジャンプ)が、ここほど〝バエる〟競馬場はありません。しかも今年1年のカテゴリー毎の頂上を争う最後で最後のチャンピオン決定戦が舞台とあっては、ランフランコの持って生まれた闘志に炎が点かないはずがありません。

第1レースはマラソン王の栄誉をかけた「G2ブリティッシュロングディスタンスC」。ランフランコは盟友ジョン・ゴスデンが送り込むトローラーマン、宿敵ライアン・ムーア騎乗の大本命キプリオスと前走G1カドラン賞快勝で2連勝中の実力派トゥルーシャンが牙を研ぎます。レースは、ラスト800mで2番手から早々と先頭に押し出されたトローラーマンを追ってキプリオスが10馬身近い差を強烈に捲り上げ、4コーナーで交わすと1馬身、2馬身、さらに差を広げ〝勝負あった!〟と思わせます。しかしランフランコは慌てずムーアの真後ろでライバルの脚を測り、ラスト400mで馬を外へ出すと左鞭一発!ジリジリ差を詰め並びかけ、ライアンと馬体を接して叩き合い、後続を13馬身もちぎってマッチレース!ゴールでクビだけグイッと出て勝利を収めました。ライアンの大捲りも見事でしたし、ランフランコの差し返しは繊細緻密な芸術品を超えて鮮やかなアトラクションでした。引退を宣言する年齢を過ぎても、初々しく溌剌としたアクションは〝ヨッ!麒麟児〟と大向こうから声が掛かりそうです。これが日本時間で、土曜日の午後9時半くらいのこと。クリストフ・ルメールは東京から京都に移動、早ければ調整ルームに入った頃。スマホなどはJRA預かりとなり、遠く離れたアスコット競馬場のレース経過など知る由もありません。遅ければ食事中だったかもしれませんが、いずれにしろ、大外枠を引いてしまった菊花賞での騎乗馬ドゥレッツァに、どう乗るか?どう御するか?そればかりで頭が一杯だったでしょう。

ソールオリエンスが直線一気に差し切った皐月賞、タスティエーラが好位から1頭だけ違う脚色で鮮烈に抜け出したダービー、どちらにも出番すらなかったドゥレッツァがラストクラシック菊花賞のゲートに両ライバルを待って最後に入ると、誰も想像すらしなかった意外性のドラマが幕を開けます。ご承知のようにスタートが良い馬では決してないのに、この日は気風良くポンと出て二の脚をシャープに伸ばすと、あっさりハナを奪います。ランフランコ・デットーリが素質開花させたトローラーマンを彷彿とさせる大外からの逃げ。ゴスデン師が管理し、ランフランコが手綱を執った父ゴールデンホーンが、外枠を引いた凱旋門賞で内に切れ込みながら位置を取りに行くのではなく、距離損を覚悟で馬群に揉まれない大外ロードをそのまま直進、2番手に付けると外から来る馬を振り払い引き離し単騎を守り切って直線勝負、2年連続2着のフリントシャー、仏ダービーから3連勝中の上昇馬ニューベイ、偉業3連覇に挑むトレヴなどの追い込みを退けて先頭のままゴールに飛び込みます。ゴスデン=デットーリの名師弟コンビの作戦勝ちでした。凱旋門賞、ダービー、エクリプスS、愛チャンピオンSなど超一流レースを9戦7勝してカルティエ賞年度代表馬馬に輝いたゴールデンホーンですが、2着に敗れた2度はいずれも最内枠スタートでした。馬ゴミを嫌う気難しい気性を秘めていたようで、そこを熟慮しての外枠直進作戦でした。ダート戦で砂を被ると嫌がる馬に大外直進作戦で勝ったことがあると藤沢和雄先生から聞いたことがあります。洋の東西は違えど、名匠は名匠を知るものですね。


距離が距離ですから、普通なら内に切れ込むように寄せてポジションを定め、折り合って息を入れながら脚を溜めて行くものですが、先頭に立った2ハロン目から11秒7-11秒1とグーンと加速し、後続が落ち着いたところで、徐々に、徐々にとペースダウンしながら主導権を握り続けます。3コーナー過ぎの坂の下り、勝負に出たリビアングラスなどに先頭を奪われても、クリストフは慌てず騒がず、内で動かずジッと末脚を温存します。京都の外回りは、4コーナーで遠心力が強く働き生垣沿いのインコースが空くことで有名です。菊花賞制覇の〝王道〟です。そこを忠実にトレースしたクリストフとドゥレッツァは、一瞬で先頭を奪い返し、外に振られ気味のタスティエーラ、さらに定番の大外を回るソールオリエンスをアッという間に引き離します。直線に向いて突き放した距離はさらに広がり、そのまま大きくは詰められないまま3馬身半と逆転不能(ミッション・インポッシブル)のゴールを迎えます。父ドゥラメンテの産駒デビューから4年目10月第3週時点でのG1勝利数は通算12勝目、とんでもない数字が叩き出されたものです。歴代通算G1勝利数記録はサンデーサイレンスとディープインパクトの両巨頭がともに71勝ずつと飛び抜けた数字で首位を分け合っています。しかしドゥラメンテと同期間まで時計の針を巻き戻してみると、サンデー10勝、ディープ10勝(11月にマイルチャンピオンシップとジャパンCを勝利)、ここもタイで拮抗していますが、ドゥラメンテの快進撃には及びません。何人の方々が何百遍「早過ぎる」とドゥラメンテの死を惜しんだことか。今さらながら痛恨の思いが増幅されてなりません。そして重賞初挑戦でG1の大輪を艶やかに咲かせたドゥレッツァ界隈の近着情報を手繰った方は、さらなるショックに襲われることになります。