2023.10.16

臥龍ジャスティファイの離陸

「ロード・トゥ・ザ・ケンタッキーダービー」日本ラウンド最終戦に、3月の中山競馬場で「OP伏竜S」が組まれています。JRAホームページの特別競走名解説によれば「伏竜は、水中に潜み昇天の機を待つ竜のこと。世から離れて住む(まだ世に知られていないが)優れた才分を持つ人物」と説明されています。同じような言葉に「臥龍(がりゅう)」があります。未だ地に臥(ふ)したまま天に昇ろうとせず、その時機を待つ〝未完の大器〟を暗示します。『三国志』では、まだ劉備玄徳の〝三顧の礼〟に応え世に出る以前、野に埋もれていた諸葛孔明が自らをそう称したと伝えられます。やがて軍師孔明は、劉備将軍という雲を得て天の高みにまで昇竜の勢いで翔け登ります。同じようなテーストで5月の京都には「LR鳳雛(ほうすう)S」と名付けられたダートの出世レースがありますが、これも将来の大成を予感させる「鳳凰の雛」を意味する縁起の良いエピソードです。

話は中華4000年の歴史から、いっぺんに現代の競馬場に飛びます。シーズンも終幕に差し掛かったヨーロッパ競馬では、年齢・性別・距離などの多様なカテゴリー別に〝頂上決定選手権(チャンピオンシップ)〟が毎週あちこちで盛んに行われています。先月中旬の「アイリッシュ・チャンピオンズ・デー」を皮切りに、今月初旬はフランス・パリロンシャン競馬場をステージに「凱旋門賞ウィークエンド」が華やかに、そして現在は競馬発祥の地イギリスでその聖地ニューマーケットとアスコットを転戦しながら「ブリティッシュ・チャンピオンズ・デー」が世界の注目を集めています。さて、この国境を問わない強者たちの〝聖戦シリーズ〟で、にわかに熱い視線を注がれているのが種牡馬ジャスティファイの存在です。凱旋門賞の1レース前にスタートした〝2歳女王決定戦〟G1マルセルブサック賞を、前走G3フレームオブタラSで6馬身半ぶっちぎったジャスティファイ産駒のオペラシンガーが、格段に相手強化されたここでもスピードの違いを見せつけて5馬身差の圧勝劇を演じます。ドラマは先週末のニューマーケットに引き継がれ、〝2歳王者決定戦〟G1デューハーストSで同じジャスティファイ産駒のシティオブトロイが異次元の加速力でスケールの雄大さの片鱗を披露します。

この突然の競馬の神々の降臨に、クールモアなど滅多なことではモノに動じない大物が居並ぶ馬主席では「フランケルの再来!」そんな言葉も飛び交うほどの興奮ぶりだったそうです。エイダン・オブライエン調教師は「フランケルと比べるのは時期尚早だろうが、私が育てたガリレオ、ロックオブジブラルタル、ジャイアンツコーズウェイなどチャンピオンホースにも劣らない特別な存在であるのは確かだ」と淡々と語ります。ヒロイン=オペラシンガー、ヒーロー=シティオブトロイの出現に天と地がひっくり返ったような騒ぎになっています。ブックメーカー各社は前者を1000ギニー&オークスの大本命に、後者に至っては2000ギニーが「Even(イーブン)」と日本流に言えば2倍の低オッズ、ダービーも2.5倍と突き抜けており、オマケと言ってはなんですが凱旋門賞でもレーティング世界一のイクイノックスと並んで1番人気タイに抜擢されました。ちなみに3番人気がオペラシンガーがピックアップされ、ジャスティファイ人気の急上昇は驚くばかりの勢いです。

ご存じのようにジャスティファイは、2歳秋から延々7カ月間も続く熾烈なトライアルと、わずか5週間の過酷なローテーションが組まれたアメリカの三冠レースを、しかも無敗のまま制覇した史上最大級のヒーローです。しかも600㌔近い巨体からデビューが3歳にズレ込む致命的なリスクを克服しての大願成就でしたから、血統通りの仕上がり早+クラシック向け成長力の持ち主であることを証明したのですから、人気を呼ばないわけがありません。血統を言うなら、父系の祖ストームキャットはジャイアンツコーズウェイ、イントゥミスチーフと、この20年ほどで父・子・曾孫で9回もリーディングサイアーに輝いています。サドラーズウェルズ=ガリレオ=フランケル一辺倒のヨーロッパ、サンデーサイレンス=ディープインパクト一色の日本と違って、血統の多様性が重い価値を認められているアメリカでは偉業と称えられます。こうした背景も手伝って、ジャスティファイは超巨額トレードされ、クールモアのアメリカ拠点アシュフォードスタッドに繋養されると、初年度から15万ドル≒1700万円という種付料が設定されます。同じ三冠馬でBCクラシックも制して史上初のグランドスラムを達成したアメリカンファラオの初年度が12.5万ドル≒1300万円でしたから、期待の大きさが分かります。

しかし現3歳の初年度産駒は、ヨーロッパでもアメリカでも散発的にG1馬は出すものの長続きせず、クラシック戦線を沸き立たせるような大物とは無縁でした。日本でもセレクトセールで話題となる高額馬が出現しましたが、まだ重賞勝ち馬を出せていません。「大物は辛いヨ」でしょうか?チラホラでもG1馬を輩出すれば立派なものですが、これくらいの超大物になると、それでは許されないようです。ストームキャットに端を発する〝リーディングサイアー〟一族は、見栄えの良い馬体に生まれつき、セリ市場で期待以上の高値を付け、入厩すれば素直に仕上がり早い早熟性を隠さず、大物に育つ産駒はクラシックに向けてスクスク成長性を発揮する、良い事づくめのキャラクターに恵まれた馬が少なくないようです。ジャスティファイにとっては、1年遅れの本領発揮というところなのですが、これもデビュー遅れで周囲をハラハラさせた彼本来のキャラクターなのでしょうか?
〝臥龍〟ジャスティファイが、どこまで翔け昇るのか!競馬がますます熱く、面白くなりそうです。