2023.05.09
カーリンの逆襲
今年で149回目を迎えたケンタッキーダービーは、中団から力強く伸びたメイジが鮮やかに突き抜けて、艶やかな真紅のバラのレイを首にかけました。3歳デビューの遅咲きの馬としては史上3頭目の快挙でした。ケンタッキーダービーを巡っては、歴史が長い分、そしてファンが注いだ熱量の多い分だけ、様々な「伝説」や「ジンクス」が広く伝えられています。生涯22戦21勝と無敵を誇った芦毛の怪物ネイティヴダンサーは、ケンタッキーダービーを舞台に唯一度アタマ差だけダークスター(穴馬)という馬に敗れています。冗談としても出来過ぎた話です。「アポロの呪い」という言い伝えも有名です。アポロは1882年の第8代ケンタッキーダービー馬です。過去7頭は2歳デビューだったのに対して、3歳デビューで史上初めてダービー馬となりました。遠からず2頭目、3頭目が現れると思われたのですが、10年、20年、30年どころか50年たっても現れず、ファンはアポロが自分の名を残すために後継者が出ないよう「呪い」をかけたのだと囁き合ったそうです。この「呪い」の賞味期限は100年を越しても有効なままで、解けたのは2018年のジャスティファイが135年ぶりのことでした。今年のメイジは史上3頭目、ようやく3歳デビューのダービー馬も市民権を獲得したようです。今後は調教方法やローテーションを含めて、「アポロの呪い」は過去のものとなり、普通にデビューが遅れでもダービーを勝つ馬が増えていくのでしょうね。
ケンタッキーダービーは、2歳の9月中旬にチャーチルダウンズでプレップレース(前哨戦)がスタート、およそ9カ月にも及ぶ苛烈なポイント争奪戦のサバイバルを経て、翌年5月の第1土曜日にチャーチルダウンズで本番を迎えます。出走するのも大変ですが、勝つにはフレッシュな状態を保ちつつ、かつ様々な修羅場をかい潜って来た経験も欠かせません。この過酷なハードルを前に、多くの名馬が泣いて来た歴史があります。メイジは前出のジャスティファイのダービーで2着に泣いたグッドマジックの初年度産駒ですが、その父カーリンも夢破れた1頭です。3歳2月の遅いデビューからブッチギリの連続で3連勝、ケンタッキーダービーに進んだカーリンは、2歳王者であり経験と実績で抜きん出るストリートセンスの前に若さを露呈して3着に敗れます。
しかし彼は非凡な名馬でした。真に強い馬でした。次走のクラシック第2弾プリークネスSで宿敵ストリートセンスを返り討ちにすると、秋には遂に本格化、ダート最高峰に君臨するBCクラシックを楽勝し、翌春のドバイワールドカップも圧勝して、世界No.1ダートホースに輝きます。マルマル2年間の競走馬生活でしたが、そのいずれも年度代表馬に輝いています。まさに「キング・オブ・キングズ」(王の中の王)の風格に満ちています。しかし彼は強すぎるがゆえに、ファンの期待は膨れ上がり、たまたま凡走すると厳しすぎる眼に晒される気の毒な一面もありました。
「アンチヒーロー」というか、「ヒール」の役割を背負わされる役回りでした。ダービーがそうでしたし、ラストランとなったオールウェザーに変更された最初の年の BCクラシックで、ヨーロッパ勢の4着に敗退したのも同じでした。BCもドバイもほどなくオールウェザーからダートに戻され、その年のBCクラシックは歴史の闇の中に置き忘れられてしまったようです。中でも最大の悲劇は、前出プリークネスS快勝後のベルモントSでした。ダービー馬ストリートセンスに雪辱を果たし、二冠当確の太鼓判を押される世代チャンピオンに登り詰めながら、ケンタッキーオークスを圧勝した女傑ラグストゥリッチーズの捨て身の逃げにアタマ届きませんでした。スタンドのブーイングに唇を噛み締める「キング・オブ・キングズ」を撃破した「クイーン・オブ・クイーンズ」は、兄ジャジルに続くベルモント連覇を達成、姉兄弟3連覇と空前の大記録のタスキは、1歳下の弟カジノドライヴに託されることになります。この時点で彼はデビューすらしていませんが、藤沢師のスケジュール帳には1年後のベルモント競馬場への遠征が書き込まれます。しかし、その後は順調にベルモントへの道を歩んで来たカジノドライヴは、レース当日の朝に挫石のアクシデントで痛恨の取り消し、3兄姉弟制覇のアメリカンドリームは夢と消えました。ケンタッキーでのカーリンの野望が「アポロの呪い」に砕かれたとすれば、ベルモントへの壮大な「カジノドライヴの挑戦」は「カーリンの無念」に挫かれたことになるのでしょうか?
カーリンは馬産地ケンタッキーを代表する名門牧場ヒルンデールファームで種牡馬生活を始めると、初年度産駒からベルモントSのパリスマリスを輩出します。母パレスルーマーは後に先日の天皇賞(春)戴冠のジャスティンパレスを輩出した名牝ですが、カーリンの血は期待を裏切らない好発進を決めます。しかし今のところはリーディングサイアーという栄光のスポットライトを浴びたことはありません。常に上位の座を占めるのですが、3年連続のタピット、4年連続のイントゥミスチーフなど同時代のチャンピオンに一歩足りない成績が続いています。ここでも「ヒーロー」の座とは無縁なのでしょうか?とは言え、角度を変えて眺めるとカーリンの比べるもののない偉大な才能が浮かび上がって来ます。リーディングサイアーの栄光に肩を並べる高い価値を認められているのが、カテゴリーごとのチャンピオンを選定するエクリプス賞であり、そのチャンピオンを争う頂上戦であるBC(ブリーダーズカップ)の勝利ではないでしょうか。昨年、カーリン産駒は3頭がBCを戴冠しました。同一年度に3頭の勝ち馬を輩出した種牡馬は史上初の偉業でした。またエクリプス賞受賞馬は、10頭を送り出したミスタープロスペクターが歴代最高ですが、カーリンは現時点で6頭が表彰台に上がっています。これはタピットに並び、A.P.インディの5頭、イントゥミスチーフの4頭など、既に歴代チャンピオンサイアーを上回る高みに到達しています。今後はメイジのように孫世代の活躍が目立つようになるのでしょうが、19歳とは言え自身もまだ健在です。悲願のリーディングサイアー戴冠へ、真のヒーローへと生まれ変わるカーリンの血に注目したいと思わされた今年のケンタッキーダービーでした。