2022.11.30

配合の神秘

欧州チャンピオンの称号として燦然(さんぜん)と輝く「カルティエ賞年度代表馬」に二度も君臨した名牝ウィジャボードが亡くなりました。この栄誉に浴した最初の馬であり、その後も怪物フランケルと凱旋門賞連覇のエネイブルだけが戴冠している“特別な存在”として競馬史に刻み込まれています。今世紀最初の年の生まれですから、享年21歳です。オークスの創設者で、ダービーにその名を冠したダービー伯爵一族の血を受け継ぐ第19代ダービー卿の愛馬で、3歳時に英オークスを7馬身差で圧勝、愛オークスはレコード駆けの快走でした。英オークスは1779年の第1回を制覇した第12代ダービー卿所有のブリジットから数えて225年目で3頭目の戴冠でした。日本で言えば江戸時代中期、桜島大噴火とか天明大飢饉など世情騒然とした混沌の時代に当たります。日本に近代競馬をもたらした明治維新前後の開国まで、まだ100年近くもあった頃のお話です。“競馬の母国”イギリスの歴史や伝統の重さをしみじみ感じさせます。そうした背景をバックグラウンドにダービー卿は、代々伝えられた牧場を手がけ、生産馬が牡馬なら売却し牝馬だけを所有するオーナーブリーダーとして、細々と続けていました。当時の所有馬はウィジャボードたった1頭だけだったそうです。

成長してエド・ダンロップ調教師に預けられたウィジャボードは慎重にトレーニングを重ねられ、リステッドレースから前記のようにオークスの晴れ舞台で艶やかに舞い、凱旋門賞でも日本に来ているバゴの3着に奮闘して素質の高さを証明します。ケープクロスというマイラー血統を父に持つウィジャボードの活躍は、別の意味でホースマンたちの探究心や冒険心を刺激することになります。ご存じのようにケープクロスは、G1勝利はロッキンジSだけで、ジャックルマルワ賞は日本から遠征したタイキシャトルに歯が立たず3着に敗れています。失礼ながら“一流半のマイラー”の印象でした。この配合から生まれた初年度産駒のウィジャボードの中長距離での溌剌(はつらつ)としたレースぶりに感銘を受けたオーナーからケープクロスの下へ配合オファーが舞い込みます。その牝馬の1頭がアーバンシーでした。

既にチャンピオン種牡馬サドラーズウェルズとの間に歴史的名馬ガリレオを輩出していた彼女は、今度は“一流半マイラー”ケープクロスとの間にどんな仔を出すのか?この冒険は、シーザスターズという解答を出します。アーバンシーの馬主であるツィ氏一族に所有されたこの牡馬は、デビュー戦こそ取りこぼしますが、それ以外は8戦8勝と白星を重ね、2000ギニーとダービーの英二冠制覇から古馬相手のG1を3連勝、仕上げの凱旋門賞まで無双ぶりを発揮します。種牡馬としても大物を次々と輩出することで有名で、今季は無敗記録が途切れたのは残念でしたが、連戦連勝で“フランケル2世”と世界中を騒然とさせたバーイードを送り込んでいます。シーザスターズはウィジャボードの3歳時の活躍にインスパイア(触発)されて、その翌年にケープクロスを種付けして誕生した“大冒険の果実”でした。ウィジャボードの存在がなければシーザスターズも誕生せず、バーイードも降臨しなかったでしょう。

サラブレッド生産における配合の神秘性、その物語性の奥の深さには驚かされることばかりです。ウィジャボードが紡ぐ物語の1行目を書き起こしたダービー伯爵一族は代々親日家としてもよく知られ、19代の先代18代卿の粋な計らいで「ダービー卿チャレンジトロフィー」が創設されたいきさつもあります。ウィジャボード自身もジャパンCに二度も出走を果たしており、一度目はデットーリ騎手の剛腕でアルカセットがなぎ倒したハーツクライ、ゼンノロブロイ、リンカーンのオールジャパン・オールスター軍団に続く5着、翌年の二度目はディープインパクトの3着と日本の馬場でも十分に見せ場はつくってくれました。
今ごろは、空の上のターフでディープインパクトとジャパンC再戦のゲートに向かっているのでしょうか。万感の想いと感謝を込めて、名牝のご冥福をお祈りいたします。