2022.10.03
凱旋門賞ショック
雨中の凱旋門賞、今年もドイツゆかりのサラブレッドたちが素晴らしい走りを披露して上位独占の快挙を成し遂げました。ドイツでは伝統的に基礎牝馬の馬名イニシャル(頭文字)を代々受け継いで“Aライン”とか“Sライン”といった略称で牝系を呼びます。近年の凱旋門賞は、ドイツのオーナーブリーダーであるゲオルグ・フォン・ウルマン男爵が心血を注いだ名門シュレンダーハン牧場の紡ぎ続けてきた“Aライン”の独壇場となっています。ご承知のように今年の上位入線馬は、勝ったアルピニスタはドイツ留学による武者修行が実を結んだのと、“Aライン”最高傑作と言えるガリレオが生んだ怪物フランケルの血とドイツ魂の塊のような馬です。2着に食い下がったヴァデニもガリレオ系チャーチルの血統。昨年の凱旋門賞を制し今年も3着に鋭く突っ込んだトルカータータッソは、4代母にアレグリッタの名前が出てきますが、彼女はガリレオの母アーバンシーを送り出した名繁殖牝馬で、トルカータータッソの父アドラーフルークの祖母アリャとは全姉妹の間柄、従ってトルカータータッソはアリャ=アレグリッタの全姉妹クロス3X4を内包しており、今年の凱旋門賞もまたアナテフカ牝系の一人舞台だったということになります。
10月第一日曜日のパリロンシャン競馬場が、“Aライン劇場”と化したのは、1993年のアーバンシーによる不良馬場での人気薄激走が発端なのですが、16年後に息子シーザスターズが母仔制覇を達成し、翌年にアーバンシー半弟キングズベストが出したワークフォースが日本馬ナカヤマフェスタを破ったあたりでしょうか?しかし決定的だったのは2016年の“ガリレオ劇場”の“独占公演”ですね。期待されながら、なかなか勝てなかった大種牡馬ガリレオが、本陣エイダン・オブライエン厩舎から精鋭3頭出し、よく練り込まれて精度の高い戦略とライアン・ムーア、ランフランコ・デットーリなど世界最強の鞍上コンビの緻密な連携プレーで“ガリレオ1-2-3”のドラマを生み出しました。翌年からもガリレオ系ナサニエルのエネイブルが連覇、さらにガリレオ直仔のドイツ母系馬ヴァルトガイスト、母父ガリレオのソットサス、さらに昨年のトルカータータッソまで、ガリレオを不動の主役に迎えた“Aライン劇場”は幕が降りるということを知らないようです。
競馬世界地図を書き換えた“偉大なAライン”生みの親であるウルマン男爵の功績は、“ジュレンダーハンのSライン”の方が日本では有名です。こちらはブエナビスタ、マンハッタンカフェなどサンデーサイレンス系との和合性に優れ、最近もシュネルマイスターやサリオスがこの牝系から出ており、突出した日本適性を発揮しています。ソウルスターリングやスターズオンアースの叔母と姪によるオークス制覇もこの一族が生み出した大きな成果です。これに比べると“Aライン”は子孫が世界のビッグレースを勝ちまくっている割には、日本での実績は一息物足りません。先述のように、牝馬アーバンシーが凱旋門賞を勝って脚光を浴び、彼女が輩出したガリレオ、シーザスターズによって一気に世界中に広まった血統です。年代記風には、ルーツは20世紀末でも、実態としては21世紀の新潮流と言えそうです。
日本馬の凱旋門賞は、これまで延べ33頭が参戦して未だ勝利なし。勝ちまくるのは当然で、ほぼ上位独占状態のAライン組には残念ながら手も足も出ない状況が続きます。しかし今回の敗戦ショックは特別のようで、少なからぬ日本人ホースマンが「凱旋門賞への取り組み方」への180度の大転換を考え始めているようにも感じられます。少し乱暴ですが大ざっぱにまとめてしまうと、これまでは強い馬を創り育てて、その馬でパリに乗り込むというのが大筋でした。でも、それでは何度チャレンジしても通用しないと考える人々も現れるようになったのが、今回の敗戦ショックの副産物のようです。これまで日本人には余り馴染みがなく、定着してこなかった“Aライン”を含む新潮流の導入がテーブルの上に載せられるのでしょうか。馬産のあり方から競馬場の設計仕様までも左右しかねない難しい問題です。“競馬の違い”と割り切る選択肢もあるでしょうし、いずれにせよ、長い長〜い時間が必要なのでしょうね。