2022.09.15

凱旋門賞の勝ち方

10戦10勝の無敵街道を驀進(ばくしん)中の“フランケル2世”バーイードの次走が10月中旬のG1英チャンピオンSに決まったようです。マイル戦を連戦連勝で無双して、距離を2000m級に延ばしたG1インターナショナルSも余裕残しで完勝すると、世のファンの多くは2400mの凱旋門賞で三階級制覇する姿を夢見ました。彼がフランケルを超えるには、それしか道がないと考えたからです。野心的で破天荒なチャレンジにも思えますが、魅惑に富んだアイデアは世界中のホースマンを夢中にさせ、ファンを熱狂させるに違いありません。

しかし歴史を左右するような節目には、いつの世にも“賢人”が現れるものです。いっときの興奮や熱狂ではなく、歴史そのものを長い目で俯瞰して、新たな選択肢を示してくれます。今回も競馬の神様は“賢人”を送り込むことを忘れなかったようです。ヨーロッパを舞台にリーディングジョッキーに6回も輝き、凱旋門賞はアンドレ・ファーブル、エイダン・オブライエンという最高の見識と技術を備えた名伯楽とのコンビで2度制覇している伝説の名騎手キーレン・ファロンがその人です。今は世界中のゴドルフィンの頂点に立つ“G1請負人”チャーリー・アップルビー調教師の下で、攻め馬に専念する裏方に徹しているそうですが、最高の名馬たち・最高の人々と最高のレースで磨き上げてきた“競馬観”に一点の曇りもありません。ファロンさんは語りかけます。「彼は能力的にはすべてを備えている。世界一の才能を持っている。彼がこのレースのために調教されているならば逆らえない。もちろん彼の勝利を見ることができるだろう。もし騎乗馬を選べるなら、私は彼に乗りたい」と。

「しかし」とファロンさんは言い淀み、次に「バーイードは凱旋門賞に向けて調教してきた馬ではない」と続けます。ファロンさんの最良のパートナーである凱旋門賞を8勝した“フランスの誇り”アンドレ・ファーブル師、その神の領域に追いつけ追い越せと切磋琢磨する“アイルランドの巨人”エイダン・オブライエン師は、シーズンの初めから凱旋門賞を勝つためのトレーニングを重ね、そのためのローテーションを組み、夏休みを十分にとることを忘れずに馬を仕上げていったと述懐します。名人は名人を知る、古くから言われてきたことですが、長い経験の中で洗練された“賢人”の奥深さに胸が震える思いです。

新聞報道からだけでは、細かいニュアンスは分からないのですが、バーイードのウィリアム・ハガス調教師も、こうした“賢人”の見識に基づく信念をオーナーブリーダーに誠意を込めて説明した様子は十分に伝わってきます。亡きエリザベス女王が信頼して主戦ステーブルを任せていた人物だけのことはあります。ロンシャンの2400mを天馬のように翔けるバーイードを見たかった思いは残りますが、ハガス師の信念、ハムダン殿下の遺志を継ぐシャドウェルファミリーの方々の健全なホースマン精神に感動させられました。競馬は、もっともっと豊かなものへと成長していくに違いありません。