2022.08.31

前代未聞のドリームホース

1600mで折り合いを欠く連続で、距離を縮めた1400m戦でも掛かる気性が収まらなかったレッドベルオーブが、先週日曜の小倉日経オープンでは、逆に距離を延ばしてクラシック以外では最長となる1800mに挑戦してきました。藤原英昭調教師が考えに考え抜いたベルオーブの“覚醒戦略”だったのでしょう。結果はご存じのとおり、前半1000mを57秒6と飛ばしに飛ばす大逃げを演じて、脚が止まりかけた直線も懸命に踏ん張って3馬身差でゴールインしました。2歳時のG2デイリー杯2歳S以来、21カ月ぶりの勝利の美酒でした。想像もしなかったシーンの連続に(藤原先生にとっては戦略どおりの想定内だったでしょうが)ある一頭の馬を思い出しました。もう30年近く前の馬です。その馬は逃げ切り圧勝か、失速惨敗の両極端のレースを繰り返し、“玉砕型”と呼ばれる稀有な個性を確立しました。ファンに愛された馬で、彼の逃走劇を見たくて競馬場に馳せ参じる人も多く、福島のG3七夕賞で伝説の大逃げで圧勝したときなどは、当時の最多観客記録を塗り替えているほどです。競馬コラムニストの山河拓也さんは、こう書き残しています。「玉砕また玉砕。しかし、99回玉砕しても百回目には逃げ切るんじゃないか、と期待された。(中略)こんな馬、他に誰がいるか。いない。ツインターボだけだ」。ツインターボとは、一筋の光明を夢見るファンの想いを叶える前代未聞のドリームホースだったようです。

ツインターボの父ライラリッジは競走馬としては無名の中級馬に過ぎなかったのですが、同じ父リファールの最高傑作ダンシングブレーヴが凱旋門賞を制覇した翌年から日本で繋養されています。繊細なリファール系らしく食いの細い馬で、436㌔のデビュー馬体重も増えないまま410〜420㌔台で競馬をしています。このあたりは母ウインドインハーヘアを通してリファールの血を引くディープインパクトが、デビュー時の馬体重を生涯超えることがなかったのと似ています。その繊細さはツインターボの場合、笹倉調教師によれば「極端な怖がり」として出て“逃げ屋”の道が決まったようです。しかし同時にゲート試験合格に4カ月もかかったように、“逃げ屋”には致命的なスタート難を抱えていました。笹倉先生の試行錯誤が始まります。

スタートしてジワッと加速できる長めのホームストレッチを備え、かつ小回りであり、否応なしに減速せざるを得ないコーナーは4つはほしい、それもタップリ息が入る急カーブが望ましく、付け加えれば平坦コースであり、さらに直線が短ければ言うことはない、あれやこれやと注文のオンパレードです。こんな競馬場どこにあるのか?ところが、その理想のコースが案外と手近にありました。福島競馬場です。ご承知のように福島の1800mと2000mのコース設計がツインターボのワガママな注文を満たしています。そしてG3ラジオたんぱ賞(現ラジオNIKKEI賞)がスタートします。

ツインターボは青写真どおりにユックリ先頭を奪うと徐々に加速、バックストレッチで“ファーストターボ”に点火してスパート、1000m通過は58秒を切るほどのハイラップで大逃げ態勢を固めます。4コーナーで最後の息をタップリ補給すると“セカンド(ツイン)ターボ”を完全燃焼させゴールを目指します。この戦法は生涯を通じて貫かれ、怪我による長期休養から復調した5歳時のG3七夕賞でも、その次走のG2オールカマーでも絵に描いたような“大逃げ劇場”が再演されます。直線の急坂を除けば中山2200mも“ツインターボ仕様”と言えないこともありません。言うまでもなく、ツインターボとレッドベルオーブとは、まったく異なる個性の別馬ですし、時代もまるっきり違います。この先、ベルオーブがどんな道を歩み、いかなる蹄跡を刻んでいくのか、ちょっと想像に余りますが、馬名どおり「美しい夜明け」が長く続いた闇の向こうから、ようやく浮かび上がりはじめているのも確かなようです。