2022.08.19

タイキシャトルの夢

名馬タイキシャトルの訃報を伝えられて、藤沢和雄先生は「今でもやはり天皇賞(秋)を使えていればという気持ちがあります」とたったひとつの心残りを漏らしています。当時、日本競馬はまだ“鎖国”状態にあり、外国産馬は厳しい出走制限下で不自由な戦いを余儀なくされました。8戦8勝と無双しながら持込馬に生まれたばかりにダービー出走が叶わなかった“マルゼンスキーの悲劇”がファンの同情を誘ったのは1970年代のこと。今では普通に日本産馬と同等に扱われる持込馬ですが、当時はまだ外国産馬と同じ制限下にありました。その後は規制緩和が徐々に進み、段階的に外国産馬の出走可能枠が広げられていきますが、種牡馬・繁殖牝馬選定競走に位置付けられているクラシック及び天皇賞への外国産馬の出走不可が、ずっと最後の砦となってきました。

タイキシャトルに気の毒をさせ、藤沢先生に唇を噛ませた“最後の砦”に小さいながら風穴が開き、日本競馬が鎖国を脱し開国へと向かいはじめたのは、タイキシャトルに初年度産駒が誕生した2000年のことでした。天皇賞にわずか2頭ながら外国産馬の出走が認められたのです。馬にとっては理不尽な出走制限で味わってきた長年の悔しい思いをぶつけるように“外国産馬の星”メイショウドトウが獅子奮迅の大暴れをしています。しかしこの年は“内国産の鉄壁”テイエムオペラオーが8戦8勝とすべての難敵をはね返しました。メイショウドトウは宝塚記念にはじまり、ジャパンC、有馬記念、そして悲願の天皇賞(秋)でもオール2着に敗れています。この生まれの内外を超えた無二のライバルの戦いは翌年も続き、天皇賞(春)ではドトウは5度目の2着でしたが、次走の宝塚記念で遂にライバルに先んじてゴールに飛び込みます。オペラオーの強さも王者の風格なら、ドトウのはね返されてもはね返されても馬名通りに怒濤のように挑み続ける執念も別格の輝きを放ち、ファンを酔わせる名勝負でした。鎖国競馬で見られなかった感動と興奮が、ここまで素晴らしいものとは誰の想像も遥かに超えていました。

翌年は賞金不足が危ぶまれたアグネスデジタルが、ダート交流競走の南部杯で勝利を積み上げると、天皇賞(秋)は昨年の覇者テイエムオペラオーを破る前代未聞の“G1二刀流”で外国産馬の底知れないポテンシャルを印象づけます。そして次の年からは藤沢和雄調教師とオリビエ・ペリエ騎手とシンボリクリスエスの黄金三重奏が秋天連覇の偉業を達成。その後は繁栄と興隆を極めたサンデーサイレンス系を中心に日本産馬のレベルアップが進み、外国産馬の挑戦をはね返し、海外を舞台に替えても互角以上の戦いを演じているのはご存じの通りです。クリスエスは菊花賞馬エピファネイアを通じた孫世代のエフフォーリアが秋天制覇を果たし、その血は既にすっかり日本に定着しています。

タラレバは競馬ではご法度なのですが、もしシャトルがもう2年遅く生まれていたら、もしくは2年早く“鎖国解禁”されいたら、そんな想像を逞しくします。後者なら、シャトルとは同期のサイレンススズカの悲劇の秋天の年に当たります。サイレンススズカの“神速”についていけるのはシャトルだけ、見たこともないような名勝負が繰り広げられたに違いありません。見たかったです。その一方の立役者である藤沢和雄先生とタイキシャトルが夢見た距離2000m級のG1レースの価値が、いま世界規模で見直されています。言うまでもなく、怪物バーイードの出現がキッカケでした。先日のG1・インターナショナルSでは、道中は馬なりで楽々と追走し、昨年の覇者ミシュリフが懸命に追って先に抜け出すのを待って、一呼吸一気合で風のように追い越し、アッという間に突き放すと6馬身半差で悠々とゴールしていました。同じインターナショナルSを7馬身差で勝ったフランケルのような派手さはありませんが、一切ムダのない究極の省エネ走法は誰も近寄れない不気味さをたたえています。次走は凱旋門賞には見向きもせず、フランケルと同じく英チャンピオンS(2000m)を舞台にラストランを迎えます。いわゆる“チャンピオンディスタンス”がこれまでの2400mから2000mへと移行しはじめたのでしょうか?