2022.08.17

タイキシャトル逝く

タイキシャトルが今朝早くに亡くなっていたそうです。眠っているうちに安らかに召されたようです。3日ほど前のジャックルマロワ賞を見届けて、享年28歳の大往生でした。タイキシャトルとともに同じ道を歩み、心を一つにしてきた藤沢和雄先生、岡部幸雄騎手はじめ、最後を看取ってくださったノーザンFレイクの皆さま、たくさんの関係者の方々にお悔やみを申し上げるとともに、名馬タイキシャトルのご冥福をお祈りします。

訃報が届いたか届かないかの頃合いで第1レースのファンファーレが響いた園田競馬場では、タイキシャトルの孫娘オーロラフェリー(父メイショウボーラー)が好位から直線で3馬身半突き抜けて鮮やかな勝利を飾り祖父への弔鐘を打ち鳴らしました。末裔たちの追悼はこれで終わりませんでした。続く第2レースでは3番人気だった父ホッコータルマエ・母の父タイキシャトルという血統のヨシノタルマエが、逃げて4馬身突き放す完勝で第2の鐘を鳴らします。さらに父シニスターミニスター・母の父タイキシャトルのハッピーミニスターが、6番人気の低評価を“笑止千万!”と大差にぶっちぎる鮮やかな逃げ切りを演じて、孫世代による3連勝という“ミラクル”を巻き起こしています。そもそも頭数的にも先細りの傾向を止められないタイキシャトル繋がりの血縁馬が、3レース連続して出走すること自体、かなりレアな現象でしょう。それが3連勝ですから、ミラクルにミラクルを重ねた大ミラクルでした。

タイキシャトルの血は、ウインクリューガー、メイショウボーラー、レッドスパーダなどがスタッドインして、地味ながら着実に伝えられています。メイショウボーラーはニシケンモノノフを出して、サイアーラインを3代目まで延ばしました。今年から産駒を競馬場に登場させているニシケンモノノフは、マスコミで騒がれるような派手さこそ乏しいのですが、なかなか手堅い成績を積み重ねています。JRAは友田牧場が生産して高橋康之厩舎に入ったペイシャフラワー1頭だけの出走ですが、新馬戦3着に続く未勝利戦が2着、初勝利は時間の問題という好ムードに包まれています。ここまで17頭をデビューさせている地方では、その内6頭が7勝を上げて、新種牡馬ランキング3位と驚きのロケットスタートを決めています。優駿スタリオンステーションで毎年30頭代と安定した数の牝馬の集めており、20万円とリーズナブルな種付け料も手伝って、日高の皆さんからの信頼はかなり厚いようです。

タイキシャトルがジャックルマロワ賞を快勝して世界へ一歩踏み出したのは1998年のことでした。日本調教馬による海外遠征の夜明けを迎えたのです。翌99年、凱旋門賞デーのロンシャン競馬場で行われるG1アベイドロンシャン賞に姿を現した日本調教馬がいました。森秀行厩舎のアグネスワールドがその馬です。あり余るスピードを全身にみなぎらせ、前々走のOP北九州短距離Sで1分06秒5と“永遠不滅の”日本レコードを出しながら、コーナーワークが不得手で日本では遂にG1を勝てず、舞台を直線コースに求めて海を渡ってきました。彼は次の年も海を渡りイギリスのスプリント最高峰レースであるG1ジュライCも制して日本馬の強さを海外に喧伝しています。この稀代の快速アグネスワールドの“永遠不滅”と伝えらる大レコードを破ったのが、タイキシャトルが孝行息子レッドスパーダを通じて世に送り出したテイエムスパーダです。CBC賞の1分05秒8は、どう表現したら良いのでしょうか?“絶対不滅”を大きく超えたのですから、“空前絶後”でしょうか?とにかく言葉を失います。今週日曜はそのテイエムスパーダが満を持して北九州記念にゲートインします。大レコードで圧勝して、なお51㌔で走れる追い風も吹いています。海外に初めて日の丸を高々と掲げた名馬タイキシャトルへの“送り火”は、テイエムスパーダの重賞連覇が、もっともシックリくるような気がしています。合掌。