2022.07.27

ヒーローは死なず

古くは王侯貴族の集うロイヤルアスコットと並ぶ社交の場として発展し、競馬好きの国王エドワード7世が「競馬に彩られた園遊会」と臣下とのコミュニケーションを深めながら競馬も楽しめる一石二鳥ぶりを大絶賛した「グロリアス(栄光の)グッドウッド」開催がはじまりました。もともとリッチモンド公の狩猟のための別荘の一部として開設されたのが事始め。さまざまな鳥獣草木が棲まう広壮な丘陵の中腹に開かれ、いかにも気持ちの良い初夏の風が吹き渡る世界一美しい競馬場と絶賛されるグッドウッドが、その舞台です。直線1000mのこのコースで日本からの遠征馬ディアドラがG1ナッソーSを勝利した3年前の光景は忘れられません。競馬の成り立ち、その歴史や伝統が身体を通して直に伝わってくる素晴らしいコースです。

開催初日の昨夜は2マイル(3200m)の長丁場を周回することなく一度に走り切るG1グッドウッドCが呼び物でした。5年前にG1昇格を果たし、長距離レースの価値向上に一役買ってきました。ヒーローはストラディヴァリウスでしょう。バイオリンの歴史的名器を馬名としたように、この名馬は過去5年に4勝とグッドウッドを我が庭のように自由自在に駆けて来ました。イギリスでは2つしかないG1のもう一方の雄、ロイヤルアスコットのゴールドC(4000m)も3連覇を成し遂げています。さらに5年前に創設された「ステイヤーズ・ミリオン」も連覇しています。ゴールドCとグッドウッドCを基幹レースとして、指定された4つの2700m以上の超長距離(マラソン)レースを全勝した最強ステイヤーに100万(ミリオン)ポンドのボーナス賞金が贈られる制度です。ストラディヴァリウスという1頭のサラブレッドが1丁の名器に勝とも劣らない音色を響かせ、BHA(英国競馬統括機構)肝入りの長距離振興策を見事に成功させ、この見捨てられかけていたカテゴリーのブランド価値を飛躍的に向上させました。

文字通り八面六臂、ここまで34戦20勝、うち重賞は出走機会の少なかったG1の7勝を含めて18勝に及びます。これはヨーロッパ最多記録として歴代の名馬たちを凌駕しています。しかし距離ロスなくコースのイン衝きに徹する省エネ走法は、ときに馬群に包まれたり、閉じ込められたり、思わぬ不利に泣かされるケースも少なくありません。ストラディヴァリウスは類い稀な辛抱強さと諦めない気持ちの強さでピンチを跳ね返してきたのですが、どうにも力が及ばない事態も起きるのが競馬です。オーナーブリーダーのニールセンさんと主戦デットーリ騎手の軋轢(あつれき)もその一端でした。

8歳まで休みなく走り続けたキャリアのラストランとなった昨夜のグッドウッドC、ストラディヴァリウスと代打騎乗のアンドレア・アッゼニ騎手は、いつも通りの競馬に徹します。1000m近くある長い長い直線では、インを衝く馬のさらに内側の進路に突っ込み、スルスルと抜け出すと先頭に立ったのは鳥肌モノでした。ストラディヴァリウスはどこまでもストラディヴァリウスです。自分の存在意義に気高い誇りをブレなく持ち続けていることに感動しました。ゴール前の壮絶な叩き合いは、前走ゴールドCで G1初勝利を飾った若いキプリオスにクビだけ譲りましたが、立派なラストランでした。さて今夜は、日本調教馬バスラットレオンが参戦するマイル最高峰レースのG1サセックスSには、レーティング世界一にランクされるバーイードが登場します。前走のG1クイーンアンSは馬なりで先頭を奪うとノーステッキで8戦8勝と無敗のゴールに飛び込んでいます。世界には強い馬がいるものです。ここもニューヒーローが、果たしてどんな勝ち方をするかだけに注目が集まりそうです。