2022.05.23
もう一つの牝馬三冠
今年のオークスは、桜花賞馬スターズオンアースが“ゆとり”すら漂わせる危なげのない勝利で、晴れやかに二つ目の“ティアラ”を戴冠しました。“二冠馬”ドゥラメンテの“看板娘”が誕生しました。ご存じ祖母エアグルーヴ、曽祖母ダイナカールのオークス母娘に遡ります。母サザンスターズも妹ソウルスターリング、母スタセリタが日仏でオークスを勝っています。オークスを勝つべくして生まれてような娘さんです。こうなると「牝馬三冠」が話題になるのも当然です。メジロラモーヌに始まって最近のアーモンドアイまで、“名牝のあかし”とされる最高の勲章ですね。でも“もう一つの牝馬三冠”を見たい気持ちもあります。若くして亡くなった“幻の大種牡馬”ドゥラメンテを思えばなおさらです。彼が骨折で出走が叶わなかった菊花賞挑戦という道を妄想したりします。
現在では、「牝馬三冠」と言えば桜花賞・オークス・秋華賞の世代&牝馬限定の3大タイトルを指しますが、歴史的な概念は少々内容が異なっています。競馬発祥の地イギリスで伝えられて来た伝統的なカテゴリーのフレームはこうでした。2000ギニー・ダービー・セントレジャーの三冠に加えて、1000ギニー・オークスの牝馬限定戦を「5大クラシック」として最高位に位置付け、いわゆる「三冠」以外に牝馬二冠とセントレジャーを一対とする「牝馬三冠」を誕生させました。しかし競馬のスピード化が急速に進み、長距離レースの価値が希薄になるに連れてセントレジャーの価値も暴落状態に。春の二冠を制した世代のトップクラスが、そもそも挑戦しなくなったことを主要因に、牡馬は1970年のニジンスキーを、牝馬は少し長持ちしましたが1985年のオーソーシャープを最後に「三冠馬」は絶滅しました。
その後、この傾向は強まっても回帰することはないようです。それどころかヨーロッパを中心に、能力と距離の関係に対するスタンスが徐々に厳格化され、1600mのギニー戦線と2400mのダービー・オークス路線は別物と考えられるようになります。双方にチャレンジする馬はごく一握りのマイナーな存在になって来ます。今年の英仏愛3カ国2000ギニーは、ゴドルフィンが持ち駒を巧みに使い分けて、3カ国すべてで栄冠を独占しました。しかしどの馬もダービーに向かう気配はまるで見られません。各馬の調子を確かめながら、どの馬をどのマイルG1にチャレンジさせるかの選別を慎重に進めているようです。逆に言えば、さまざまな分野で「プロフェッショナル化」「スペシャリスト化」が進行しており、血統だけ、素質だけ、厩舎だけ、騎手だけ、といった単一の要素だけでは勝利への近道とはなり得ない、競馬もそんな複雑な時代になってきたのでしょう。
日本で“もう一つの牝馬三冠”を達成した馬はいませんが、それにもっとも近かったのが戦前のクリフジでした。彼女が3歳の5月中旬に東京の新馬戦でデビューしたときには、既に1週間前に桜花賞が終わっており、歴史的概念としての“牝馬三冠”の資格は、彼女が競馬場に姿を現す以前に失われていました。2戦目に、その“いわく付き”の桜花賞を勝っているミスセフトと直接対決、まったく競馬にならないほど大差に斬り捨て、異次元の能力を満天下に知らしめます。そこから連闘でダービーに向かい、牡馬勢を蹴散らし6馬身差のレコードで大楽勝!牡馬牝馬の壁を越えて世代No.1に君臨します。当時は秋に施行されていたオークスでもミスセフトに10馬身差。相手も経験を積んで強くなっていたのでしょうが、クリフジの成長力の凄まじさも並みではなかったようです。迎えた菊花賞は、終わってみれば牡馬を子供扱いしてナント大差の決着でした。これが今に伝えられるクリフジによるダービー、オークス、菊花賞と“変則三冠”制覇の金字塔樹立の瞬間でした。彼女は生涯11戦11勝、遂に負けることのないまま競走生活を終えています。この“日本版フランケル”のような稀代の名牝を、スターズオンアースが想い起こさせてくれると嬉しいのですが。