2022.05.04

天皇賞余話

和生・武史両騎手の祖父にあたる横山富雄さんから始まる三代四人で成し遂げた天皇賞8勝は、世界に誇れる素晴らしいレガシー(競馬遺産)です。しかも富雄→典弘→武史で天皇賞(秋)、富雄→典弘→和生で天皇賞(春)とコンプリート(完璧)な偉業は、誰の心にも深く刻まれる価値のあるものでした。富雄さんは、日本調教馬として唯一、本場イギリス最高峰のグランドナショナルに挑戦した我が国の障害王・フジノオーの主戦騎手として有名です。障害レースの歴史や伝統、また施行規模やレベル格差などを考えれば、恐らく平地の凱旋門賞などへの遠征以上に大変な難しい事業です。色々な意味で日本競馬のパイオニアとして活躍し、貢献されたご一家の快挙に、祝福の気持ちが広がると同時に頭の下がる思いがします。

天皇賞(春)の直線を独走するタイトルホルダーの勇ましくも凛々しい姿を見ながら、そんなことを考えつつ、一方では失った存在の大きさに愕然とさせられます。タイトルホルダーを送り出した父ドゥラメンテへの惜別の情が、改めて沸々と湧き起こりました。ご承知のようにドゥラメンテは、母系を遡ること三代すべてが当時のリーディングサイアーを父として生まれ、競走馬としてはすべてがG1の栄誉を戴冠し、繁殖牝馬としてファンを虜(とりこ)にするヒーローやヒロインを届け続ける日本競馬の輝かしい歴史を体現する眩しい存在です。生まれついての“天賦のヒーロー”が期待通りにクラシック二冠馬となり、故障で三冠は棒に振ったものの、偉大さの証明を求めて海外に旅立ったことがありました。

その年のG1・ドバイシーマクラシックには、前年のキングジョージ6世&クイーンエリザベスSを勝ってグングン成長し、負け知らずで本格化を遂げたポストボンドが立ち塞がりました。結果から言えば、ポストポンドが生涯最高の“ベストバウト”と言えるパーフェクトな競馬でレコード駆けしたのに対して、ドゥラメンテは道中で落鉄する不利もあり2着と無念の涙を飲みます。しかしポストポンドは帰欧後、その年の凱旋門賞馬に輝くファウンド、同2着馬ハイランドリールなどを次々と打ち倒して、本物の強さを誇示しています。後の凱旋門賞は不運にも5着に敗れましたが、使い詰めの疲れとクールモア軍団の戦略的な徹底的な包囲網に妨げられたのが敗因でしょう。ドゥラメンテが仮に落鉄しなくても、絶好調の彼に勝てたかどうか?それほど充実著しかった強豪に、真っ向から挑んで不利がありながら2着を死守したのは、むしろ立派な勲章だと思います。

デビュー以来、何かと荒っぽいレースをしたり、幾度も不利に見舞われたり、最後はサラブレッドとして最悪の不幸に襲われながら、それでもクラシック二冠に輝き、悪くても2着を外さなかったドゥラメンテという馬は、我々が想像する以上にとんでもなく大きくて深いポテンシャルを備えていたと思います。“大器”とは、この馬のために創り出された言葉かもしれません。これだけの才能が、種牡馬となったあかつきにマルマル全部は無理でも、色々な形で産駒に伝わらない道理がありません。初年度産駒の旗頭であるタイトルホルダーの英姿は、そのほんの一部分でしょう。これら才能の塊が、血の継承を通じてどう伝えられていくのか?失った存在の大きさを思い知るとは、このことでした。考え続けたい問題です。