2022.04.12

名レースの復権

土曜中山のG2ニュージーランドトロフィーは、モアザンレディ産駒のアメリカ産馬ジャングロが鮮やかに逃げ切って、本当に久しぶりに外国産馬に凱歌が上がりました。13年のエーシントップ以来で9年ぶりになります。さらに遡ること9年前にシーキングザダイヤの懐かしい名前が現れます。“十年一昔”と言いますが、思い出すのに少し手間取る歳月を経て“青い眼”のお馬さんが奮起するパターンが定着して来たのでしょうか?しかし振り返ってみれば、ニュージーランドトロフィーというレースは外国産馬の独壇場だった時代が長く続きました。そして“世界に通用する馬づくり”という日本ホースマンの宿願実現の“ゆりかご”のような役割を果たし続けて来た歴史が紡がれています。

最初にこのレースを勝った外国産馬はアメリカ生まれのニジンスキー産駒ミュージックタイムという馬でした。当時は外国産馬(国外で種付けされ日本で生まれた「持ち込み馬」を含む)の出走制限が厳しい時代でしたが、ニュージーランドトロフィー、NHKマイルCは地方馬も含めて広く開放されており、以前はクラシック登録のない野武士オグリキャップが中央のエリート馬を馬なりで7馬身ちぎってファンを騒然とさせたりしました。折りからのバブル景気で外国産馬がどんどん輸入された時期でもあり、クラシックシーズンに施行されることもあって「マル外ダービー」の異名で親しまれる人気番組でした。

ミュージックタイムを先駆けに、アイルランド生まれのシンコウラブリイが発足したばかりの藤沢和雄厩舎に初重賞をもたらしたのもこのレースでした。女傑ヒシアマゾンの活躍も目を見張らせる素晴らしいものでしたが、時代を大きく変えるような偉業を成し遂げたのはシーキングザパールとエルコンドルパサーが海を飛び越えてニュージーランドトロフィーのレースブランドと日本競馬のプレザンス(存在感)をひときわ高めた20世紀末でした。シーキングザパールはジャングロとまったく同じ森秀行調教師・武豊騎手の黄金コンビで、フランスに渡るとドーヴィル競馬場でG1モーリスドギース賞制覇の金字塔を打ち立てます。その1週間後に藤沢師と岡部幸雄騎手が同じドーヴィルの直線競馬でG1ジャックルマロワ賞を快勝し日本ホースマンと日本調教馬が世界に通用することを証明しました。

エルコンドルパサーの偉業については述べるまでもないでしょう。その後も後に香港G1を3勝するエイシンプレストンと若き日の福永祐一騎手がこのレースから世界へと羽ばたいています。前出シーキングザダイヤは引退後は南米チリに渡り、G1馬を次々と量産して南十字星下の大種牡馬として絶大な信頼を寄せられています。1990年のミュージックタイムから2004年のシーキングザダイヤまで世紀をまたぐ15年間に11頭の外国産馬がニュージーランドトロフィーの覇者となっています。この名レースを“世界への通い道”と呼んで良いと思います。ジャングロは藤田晋オーナーの愛馬という話題がクローズアップされがちですが、世界へと繋がるニュージーランドトロフィーの真の復権を力強く牽引する大仕事にこそ本領がありそうです。