2022.02.24

雪上競馬

世界でただひとつ、年にたった三日の“ホワイトターフ”の祝祭が今年も無事に幕を閉じました。風光明媚で知られるスイスのサンモリッツ湖には、湖面が氷結する季節がやって来ると忽然(こつぜん)と氷上にサンモリッツ競馬場が姿を現わし、2月の第1、第2、第3日曜日に3日間限定の雪上競馬が行われます。

雪煙が舞う湖面をサラブレッドが駆ける幻想的な光景から「氷上競馬」と呼ぶ人も多いのですが、ルール上は芝・ダート・AW(オールウェザー)と並んで「Snow」というカテゴリーに分類されています。「Ice」(氷)ではなく「Snow」(雪)と呼ぶのは、そもそも雪を固めたクッションで氷面を覆うコース設計に由来しているのでしょう。それでも滑って転倒したり逸走したりするリスクに備えて、馬はスパイク状の蹄鉄を履いて雪煙とともに湖面を疾走します。真冬の風物詩として愛される特別なカーニバルは、国境を接するフランス・ドイツ・イタリアは無論、イギリスやアイルランドなどヨーロッパ中から人馬が参戦し、世界中から毎年3万人を超えるファンが人口5千人に満たない村に馳せ参じるそうです。イタリア時代のミルコ・デムーロ騎手も鞭を片手にアルプスを越えて手綱を執ったことがあるそうです。

先の日曜、最終日に施行されたメインレースは距離2000mの雪上で争われるG2・サンモリッツ大賞。格付けは「ローカルG2」と一枚落ちなのですが、1905年の創設とされ日本ダービーより30年近く古い歴史を誇る堂々たる伝統のグレードレースです。今回の雪上のヒーローはフリオーソという馬で、2着を4馬身突き放す快勝で満場から拍手喝采を浴びました。船橋を拠点に全国に名を轟かせた日本の名馬と同名ですが、このヒーローはナント太陽が降り注ぐスペインで調教されてきました。ピレネー、アルプスと二つの大山脈を越えて遥々やって来たことになります。燃える太陽の下でも、凍てつく雪原や氷上でも、疾駆する野生を失わない馬という生き物が持つ環境への適応力の強靭さに改めて驚かされます。

これらは雪上競馬向きに創り出された珍種というわけでは無論ありません。遡ればゼネラル・スタッドブック第1巻に辿り着くレッキとした純正のサラブレッドとして、緑のターフを走るのと同じように“ホワイトターフ”を駆けています。南国育ちのフリオーソは父がルカヤン。日本でもおなじみタートルボウルの代表産駒として仏2000ギニーなどを勝っています。母系もアガ・カーン殿下が育て上げた由緒ある名門で、たかが雪上競馬と侮ることはできません。タートルボウルは日本で亡くなって5年が過ぎましたが、今週の阪神G3・阪急杯の有力馬の一頭タイセイビジョンなど忘れ形見は健在で、ちょっと見は地味でも燻(いぶし)銀の味わい深さにファンが少なくありません。雪上競馬に話を戻すと、一見して時代の主流から外れているようですが、サラブレッドにおけるダイバーシティ(多様性)の発見と保存という意味合いで、サラブレッドが密かに隠し持つ様々な才能に気づかせてくれる異種競走を伝え広めていく価値は大きいと思います。