2022.02.02
“HERO”の時代【番外編】
テレグノシスが23歳で亡くなりました。札幌のモモセライディングファームで、乗馬としてファンの皆さんに親しまれながら余生を過ごしていました。こちらには熱心なファンがたくさんいるペルーサをはじめ、マグナーテンやグランデッツァなどの重賞勝ち馬も繋養されているようで、戦友たちに囲まれて心安らかな晩年だったのではないでしょうか。ご冥福をお祈りします。
テレグノシスはご承知のようにNHKマイルCの勝者として今に名を残していますが、細かく言えば2002年・第7回のことでした。そんな些細なことに、なぜこだわるのか?それは、創設から7年目にようやく日本で生まれ育ち調教された“日の丸マイラー”が誕生した瞬間だったからです。
1996年の創設から長い間、NHKマイルCは“マル外ダービー”の異名で親しまれてきました。当時はまだ外国産馬や持ち込み馬にクラシック出走が認められておらず、非凡なスピードとパワーに恵まれた彼らは、こぞってこのG1レースを目標にしてきました。第1回のタイキフォーチュンが当時だれも想像もしなかった1分32秒6と府中の空気を凍りつかせるような衝撃の走りでファンの度肝を抜いて以降、後にフランス遠征のモーリスドギース賞でタイキシャトルより1週間早く日本調教馬としてヨーロッパのG1を制したシーキングザパール、当時の世界最強馬モンジューと死闘の果ての凱旋門賞2着で世界を驚かせたエルコンドルパサーなど歴史的名馬たちが誇らしく威光を放っています。第5回のイーグルカフェ、第6回のクロフネはジャパンCダートも制圧して、芝とダートの“G1二刀流”の道を開拓しました。ここまで6年間の勝者は、すべて“外車”。エンジンの違いが異次元のスピードとパワーを生み出していると考えられていました。冗談半分にしても、戦う前に戦意喪失するような笑えない現実がそこにありました。
しかし日本人ホースマンは諦めません。“日の丸HERO”創出に工夫を凝らし、情熱を傾け続けます。そして2002年の第7回、社台ファーム生まれのトニービン産駒テレグノシスが、外国産馬アグネスソニック、次走でダービー馬に君臨するタニノギムレットを引き連れて歓喜のゴールに飛び込みます。それでも“日の丸ホースマン”の物語はそこで終わりません。見てきたようにNHKマイルC馬の先達は、海外遠征や日本トップクラスのレースに挑戦して素晴らしい戦果を上げています。“日の丸マイラー”テレグノシスに魂を注ぎ込む吉田照哉さんはじめ牧場スタッフ、杉浦宏昭調教師など厩舎スタッフ全員が、日本を代表する社台ファーム生産馬としての誇りにかけても負けられない気持ちでした。マイルG1の最高峰ジャックルマロワ賞、ムーランドロンシャン賞へのチャレンジを決意します。しかし、ハードルは低いものではありませんでした。テレグノシス、帯同のローエングリンはともに社台レースホースの所属馬だったからです。当然ですが招待レースでもなく、日本と比べれば賞金も格安のフランスへの遠征に、一口クラブの所属馬が海を渡ることに抵抗を感じる会員さんも少なくありません。
結果は大成功だったと思います。テレグノシスのジャックルマロワ賞3着、ローエングリンのムーランドロンシャン賞2着は、言葉では現せないほど素晴らしいものでした。彼らの渾身の走りなしには、個人とかクラブとか馬主さんの立場に関わらず“馬本意(ホースファースト)”の海外遠征が昨今のように当たり前になるまでに、もっと時間が掛かったでしょうね。テレグノシスや関係者の皆さんには感謝しかありません。
話は変わりますが、“マル外ダービー”からタニノギムレットやキングカメハメハなどのような1600mと2400mの“変則二冠”、そして昨年は欧州血統の新潮流キングマンが送り込んだ“マル外”シュネルマイスターが凱歌を上げて、多様な血統が一堂にそろっての“最強マイラー決定戦”への変化の兆しが感じられます。テレグノシスを偲びつつ、今後の潮目を占うのも一興でしょう。