2021.12.21
役者血統【中】
日本では需要らしい需要がなく、オーナーさんの愛情でようやく年間数頭の牝馬を当てがわれるマイナー種牡馬に過ぎなかったバンデが、フランスに移籍した途端にランキング2位の164頭を集める人気サイアーに駆け上がる、夢のような“サクセスストーリー”の主人公となるまでを追い掛けてみようと思っています。この物語の背景には、父オーソライズド自身が放っていた豊かなスター性やカリスマ性、そして時に覗かせる意外性が大きく影響しています。まずはその歴史を振り返ってみましょう。
父オーソライズドは2歳時にまだ未勝利の身で、G1・レーシングポストトロフィー(現フューチュリティトロフィー)を制覇してファンを驚かせると、明け3歳の緒戦は、クラシックの王道路線として有名なG2ダンテS、英ダービーを連勝してスターダムを駆け上がりました。後者ではデビュー戦を除いて生涯相棒を務めた鞍上ランフランコ・デットーリにダービージョッキーの栄誉を贈ります。あれこれと話題に事欠かず、何をやっても絵になる馬でした。ダービーの1ヵ月後、彼は初めて古馬の洗礼を浴びるサンダウン競馬場のG1・エクリプスSに挑みます。古馬の筆頭格は前年の英2000ギニーを含めG1を4勝しているスピード馬でデインヒル後継の最右翼と評判の高いジョージワシントンですが、オーソライズドは3歳の若さと恵量もあって1.5倍見当と圧倒的な支持を集めます。離れた3番人気に名匠サー・マイケル・スタウト師が育て上げ、その門下生で当時はまだ売り出し中だった若手ライアン・ムーアが騎乗するノットナウケイトが続きますが、大方は前者2頭の一騎打ちと予想されていました。ところが我々は、考えてもみなかった想像外のレースを目撃することになります。
スタートが切られると、出走8頭がひと固まりの馬群の中でオーソライズドとジョージワシントンは、互いをマークするように内ラチ沿いの経済コースを牽制し合いながら進みます。しかしライアンとケイトは道中で突然、馬群からグングンと遠ざかり始めます。馬群を遠く離れて真反対の外ラチ沿いをポツンと1頭だけ、格上馬との競り合いを避ける孤独の追走に徹し、気分良くゴールを目指します。23歳の新進ジョッキーが仕掛けたトリックでした。内外大きく分かれて着順の判別も難しい状態でゴールしますが、奇策ムーアとノットナウケイトが、正攻法のデットーリとオーソライズドを1馬身半突き放し、ジョージワシントンなどエイダン・オブライエン厩舎の3頭が掲示板を争います。ライアン・ムーアがその名を轟かし、世界の舞台へと飛び立った名レースでした。
こうした人馬の物語も、オーソライズドという存在があったからこそ紡がれたのだという気がしてなりません。偉大なスターが輝いてこそ、アンチヒーローの個性や奇策奇襲ぶりが底光りを深めるのだと思います。バンデにもそんな個性が潜んでいました。バンデが逃げて、エピファネイアが大捲りする菊花賞の名シーンもそのひとつでしょう。こうした父から譲り受けた際立った個性は、彼をどこかカリスマ性を偲ばせる華やいだ個性をカタチづくり、その個性の源であるステイヤー血統ゆえに、種牡馬としての彼自身を苦しめることになります。マラソンレースの最高峰とされるG1・メルボルンCを勝ったデルタブルースですらスタッドインできなかったお国柄です。まぁ、日本に限らずマラソンランナーの種牡馬入りのハードルは年々厳しくなっているのですが…。では、バンデがその難関をどう乗り越えられたのか?次回はそのあたりを考察してみます。