2021.12.16
世界への登龍門
昨夜の川崎ナイターで行われたG1全日本2歳優駿は、かつては“世界への登龍門”と呼べるほど、後に世界のG1舞台で躍動する名馬たちを輩出した歴史があります。あれこれエピソードを訪ね、そこに秘められた壮大なドラマを知るにつれ、日本のサラブレッドもホースマンもなかなかやるものだと思えてきます。捨てたものじゃありませんよ。
97年に交流指定されて多くのファンに認知されるようになった“ダート2歳チャンピオン決定戦”ですが、その年いきなりアグネスワールドが、ここをステップに世界のスピードスターとして華やかなスポットライトを浴びました。まだ新潟の直千コースもない時代、天賦の才に恵まれながらコーナーワークが苦手だった彼は、遂に母国G1に縁がなかったのですが、直線レースがふんだんに編成された欧州なら話は別。凱旋門賞当日のロンシャンG1アベイドロンシャン賞を真一文字に走り切ると、翌年はロイヤルアスコット名物キングズスタンドSを2着、イギリスのスプリント最高峰G1ジュライCの頂上に君臨します。いずれも直線一本勝負でした。
ワールドの翌々年、アグネスデジタルが現れます。ご存じのように、中央・地方・海外と競馬場を選ばず、芝もダートもコースを問わず、それぞれのカテゴリーで頂点に聳(そび)え立つG1レースを勝ちまくった“元祖二刀流”の名馬です。さらにG2からG1に昇格した02年の勝者ユートピアは、後にゴドルフィンマイルで世界に名前を売り、モハメド殿下の熱心なオファーでゴドルフィンに購買されて、種牡馬は輸入するものと決まっていた長い間の日本の常識を覆しています。
最近でこそ、そうした骨太のサムライが少なくなりましたが、近年の最強馬と誰もが認める怪物ルヴァンスレーヴなど、無事であったらとため息をつきたくなる優駿もいました。そのルヴァンスレーヴの2着に無念にも敗れたドンフォルティスの牧浦充徳調教師が雪辱の執念に燃えて育て上げたドライスタウトが、昨日は余裕たっぷりに12年ぶりのレコード樹立で完勝するのですから、競馬はドラマティックにできています。ドライスタウトには、この先どこまで成長し充実していくか、楽しみしか感じられません。全日本2歳優駿の奥深い歴史と素晴らしい伝統を再び世界に発信してほしいものです。