2021.10.28

スワンソング

ヨーロッパには古くから、白鳥はその最後となる舞台で生涯最高の美しい声で鳴くと言い伝えられています。ストラディヴァリウスというバイオリンなど弦楽器の最高峰に君臨する名器を名前の由来とする馬をご存じと思います。近年イギリスの超長距離カテゴリーで圧倒的な実績と栄光を積み重ねて来ました。そのストラディヴァリウスが、今季はレース中の不利や道悪に祟(たた)られ不本意な成績に甘んじて来ました。「無敵の長距離走者もさすがに衰えたか?」と引退の二文字がファンの脳裏をかすめたのですが、馬主のビョルン・ニールセンさんとジョン・ゴスデン調教師は慎重に協議を重ねて、このほど「来シーズンをストラディヴァリウスの“スワンソング・イヤー”としよう」と現役続行を決定したそうです。嬉しすぎるニュースです。

ご承知のように競馬は、通称“SMILE(スマイル)”と呼ばれる国際的な距離区分によりカテゴリー分類されています。スプリントの“S”に始まって、マイルの“M”、中距離(Intermediate)の“I”、長距離(Long)の“L”、超長距離(Extended)の“E”とそれぞれの頭文字を合成させた造語です。超長距離は2701m以上の距離で行われるレースを一括りにした概念で、砕いて言えば「マラソン」をイメージすれば分かりやすいでしょうか?日本では、G1レースは3000mのG1菊花賞と3200mの天皇賞(春)の2つだけ、どちらか言えばマイナーな分野になっています。しかしこの現象は、競馬のスピード化とともに世界共通でドンドン進んでいます。競馬発祥の地イギリスでさえ、長い間G1に格付けされていたのはロイヤルアスコットの名物レースゴールドC4000mだけでした。

ゴールドCはもともと人気のあったレースでしたが、先日ご紹介した名馬イェーツの4連覇の偉業達成やその4年後にエリザベス女王の愛馬エスティメイトのゴールドC制覇で「マラソンレース」人気が一気に高まりました。そのムーブメントを受けて、BHA(英国競馬統括機構)がいち早く動き、その4年後にグッドウッドC 3200mがG1に昇格されます。その第1回の優勝馬が他ならぬストラディヴァリウスだったのは偶然とは思えません。翌年には、ゴールドC、グッドウッドCを中心に全4戦の「ステイヤーズミリオン」が創設され、全勝馬に100万ポンドのボーナス賞金を贈る新企画が発足します。このマラソンレース活性化のアイデアに早速応えたのもストラディヴァリウスでした。彼はゴールドC3連覇、グッドウッドC4連覇を含めて、ステイヤーズミリオン連覇をも軽々と成し遂げてしまいます。馬も偉いですが、先だってご紹介したG1コモンウェルスC創設でスプリント界盛り上げ成功に続いて、マラソンカテゴリーの再生に取り組んだBHAの志の高さには敬服させられます。

その一大プロジェクトの立役者であるストラディヴァリウスの勇姿が再び競馬場で見られる幸せに感謝します。昨年は馬群に閉じ込められて動くに動けず、名馬イェーツに並ぶゴールドC4連覇は未達成に終わりました。5連覇を目指したグッドウッドCは、小柄なストラディヴァリウスには過酷すぎる不良馬場となり、ゲートインすら諦めねばなりませんでした。不運や悲運が嵐のように吹き寄せた1年でした。そのストラディヴァリウスが、最高のパートナーである名手ランフランコ・デットーリ騎手とともに帰って来ます。ゴスデン調教師のプランによれば、来シーズンは4月下旬アスコットのG3サガロS3200mか5月中旬ヨークのG2ヨークシャーC 2800mのどちらかを叩いて、6月ロイヤルアスコットのG1ゴールドC、そして7月下旬のG1グッドウッドCを“スワンソング”の舞台とするようです。ドラマティックな競馬になるのは間違いがないでしょう。楽しみでなりません。