2021.08.13
最後のアーリントン
今週のアメリカ・アーリントン競馬場では、アメリカン・グラス(芝)ホースの最高峰「BC(ブリーダーズカップ)ターフ」への一里塚として親しまれてきた「アーリントンミリオン」が「ミスターディーS」(2000m)と名を変え、「BCマイル」の最重要前哨戦「セクレタリアトS」 は新たに「ブルースディーS」(1600m)と改称、「BCフィリー&メアターフ」を目指す牝馬が集う「ビヴァリーディーS」(1900m)とともに、3つのG1が同日開催される豪華版を一堂に観戦できます。“アーリントンパーク中興の祖”と敬愛されるリチャード・ダッチスワ氏のイニシャル“D”を冠せられたネーミングで統一されたわけです。というのも、アーリントン競馬場は今年限りで閉鎖されることが決まっており、誇り高い歴史の幕を降ろすにあたって、元オーナーの勇敢なチャレンジを偲ぼうという心配りでしょうか。
なかでも「アーリントンミリオン」は世界初の“ミリオンレース”(賞金総額100万ドル)として思い入れもヒトシオでしょう。1981年に創設され、当時はバドワイザーミリオンの名称で開催されています。83年にリチャード・ダッチスワさんがアーリントン競馬場の新しいオーナーに就任すると施設や番組の充実に力を尽くし、“自慢のミリオンレース”を「アーリントンミリオン」と改名し、夫人のビヴァリーさんに由来する牝馬限定の「ビヴァリーディーS」を新設、34馬身ブッチギリでベルモントSを制圧し三冠を戴冠した伝説の名馬にさかのぼる「セクレタリアトS」とともに、G1レース3競走を8月中旬の同日開催に踏み切り、有力馬が結集して人気を盛り上げていきます。アーリントンミリオンの誕生をきっかけに、84年にブリーダーズカップが発足して各地で“ミリオンレース”が続々と創設されます。全米は言うまでもなく、ヨーロッパなど世界各国から一流馬がやってくる魅力は他の価値に変えられないものがありました。
「アーリントンミリオン」が産声を上げた81年は、マルコポーロ以来“黄金の国”と呼ばれて来た日本で「ジャパンC」が生まれています。しかし第1回ジャパンC優勝のメアジードーツが獲得した優勝賞金は6500万円。その総賞金は1億2350万円でしたから、円ベースでは辛うじて“ミリオン”に達しているものの、81年当時の為替レートは1ドル≒220円ほどでしたから、ドル換算すれば56万ドル余りと“ミリオン=100万ドル”には遠く及びません。今や1着賞金 3億円、総賞金5億7000万円と世界有数の高額賞金を誇るジャパンCですが、当時の“ミリオンレース”には、とても手が届かない憧れの別世界といった趣が感じられました。現代競馬の発展にかけがえのない貴重な貢献を果たしてくれたアーリントンパーク競馬場とG1・アーリントンミリオンが今年で最後になるのは寂しくて残念ですが、賞金の大幅減額にもかかわらずアイルランドから遠征して来るエイダン・オブライエン厩舎勢ともども、この偉大なレースに感謝を捧げたいと思います。